禅の語録に出てくる虎
お慶びを申し上げます。
毎年、新年の色紙を揮毫します。
今年は、「恵風」と書きました。
その字に、虎の画を添えました。
虎の画を描いたところ、虎らしからぬとか、なんとかわいい虎だとか、いろんな言葉をいただきます。
なかには、私に似ているということまで言われました。
虎嘯けば、風生ずという言葉もありますので、虎に因んで風の言葉を選んだのでした。
風が吹くならば、激しい風ではなく、穏やかな風が吹いて欲しいと願って、「恵風」にしたのでした。
漢和辞典を見ますと、「恵風」は「恵みの風。万物を生長させる暖かい風のこと。春風。」
という解説があります。
新春ですので、暖かい春風が吹いて欲しいと願います。
王羲之の蘭亭序には「天朗気清、恵風和暢」という言葉があります。
天は朗らかに気は清み恵風和暢たりということです。
和暢はのどかなことを言います。
さて、虎は、禅の語録のなかにも出てきます。
虎のことを大きな虫と書いて「大虫」と言います。
百丈懐海禅師にこのような話があって、『碧巌録』にございます。
ある日の事、百丈禅師が、お弟子の黄檗禅師に問いました。
「どこへ行ってきたのか」と。
黄檗禅師は答えました、「大雄山のふもとでキノコを取りにいってきました。」
百丈禅師は「虎を見たか」と聞きました。
すると黄檗禅師は、すかさず虎のほえる声をまねてみせました。
百丈禅師は、斧を取って斬る身ぶりをしてみせました。
虎が出てきたならば、対治してやろうということでしょう。
黄檗禅師は、負けてなるものかといわんばかりに、百丈禅師にげんこつを一発くらわせました。
百丈禅師は、フムフムと苦笑すると、お堂に帰って高座に上り、皆に言いました。
「大雄山には虎が一頭おるぞ。諸君、気をつけろ。わしも今日虎に咬まれてしまったわ」と。
大雄山というのは、百丈禅師がいらっしゃった山のことです。
黄檗禅師が、師匠まさりのはたらきをなされていて、その弟子の見事な応対振りにご満足な百丈禅師のお姿が彷彿とします。
こういう問答があるということは、実際に虎がいたのでしょう。
実際の虎が出てくる話もあります。
そんな百丈禅師のもとに司馬頭陀という在家の修行者が出入りしていました。
この人は人相を見たり地相を見たりする能力があったようであります。
潙山というすばらしい境致がある、そこに修行道場を建てたらもっと大勢の千五百名からの修行僧達が集まるだろうと禅師に進言しました。
そこで禅師は、では私が潙山に行こうかと言いますと、司馬頭陀は、あなたの人相では折角潙山というすばらしい場にいっても千五百名も集まりません、千人にも満たないでしょうと言いました。
随分失礼なことをいうものです。
しかし百丈禅師も正直な方で、私が駄目なら私のもとで修行している中で誰かふさわしいものがいるだろうかと聞きました。
そこで百丈禅師は、その時自分の下で修行していた僧達の中でも第一座の僧を呼んでこさせました。
百丈禅師がこの者ではどうかと聞きました。すると司馬頭陀が、この僧にエヘンと咳払いをさせて数歩歩かせてみます。
ほんの二三歩歩いて咳払いをしたのを見ただけで、司馬頭陀はこの人では駄目ですと言いました。
それでは、その時に典座という修行僧達の食事の世話をする係をしていた霊祐を読んでこさせます。
司馬頭陀はこの霊祐を一見して、この人ならふさわしいと言ったのです。
しかしながら、かたや長年百丈禅師のもとで修行して修行僧の頭を務めているものを、咳払い一つでだめだと言うわけにはいきません。
みんなのまえで公平に試験をしようということになりました。
百丈禅師は、浄瓶(じんびん)という、水を入れる銅製の器を持ち出して問いを設けました。
「これを浄瓶と呼んではいけないとなると、どう呼ぶか」と問いました。
第一座の僧は、「まさか、棒きれと呼ぶわけにもいけませんね」と、さらりと受け流しました。
次に霊祐を呼んで同じ質問をしたところ、霊祐はその浄瓶を蹴っ飛ばして颯爽と出て行ったのでした。
浄瓶と呼ぶか呼ばぬか、そのような理論を一蹴されて、爽快な感がございます。
そこで、霊祐は潙山に入山して、後に潙山霊祐と称せられるようになり、その下には大勢の修行僧が集まったという話です。
さて、この『無門関』には、霊祐禅師に、やり込められる為だけに登場したような、第一座の僧ですが、決して凡庸な僧ではありませんでした。この人は華林善覚という立派な禅僧なのでした。
華林禅師は、後に山中に入って清貧の暮らしを貫かれ、人々から大いに敬われたということです。
黄檗禅師のもとで相当に修行を積まれた裴休(はいきゆう)という役人が、或る日この華林禅師を山中に訪ねました。
禅師は、山中に住まいながら、お一人で暮らしているように見受けたので、誰かおそばに仕える者(侍者)はいないのですかと問いました。
すると華林禅師は、いや二人ほどいると言います。
ではその侍者はどちらにいるのですかと問うと、華林禅師は、大声で「大空、小空」と呼びました。
すると、大きな虎が二頭、庵の後ろから現れました。
驚く裴休に、華林禅師は、今は大事なお客様が来てるから、あっちへ行っておれと言い聞かすと、二頭の虎は「ウオー」と吼えて隠れてしまったという話です。
驚いた裴休は、禅師はどうしてこのようなお力を得られたのですかと問いました。華林禅師は「山僧常念観音」と答えたのでした。
「私は常に観世音菩薩を念じている」というのです。
実際に華林禅師は、夜間も常に錫杖をもって、七歩歩いては、錫をふるって観音の名を称えていたのでした。
華林禅師が観音さまを念じていたというのはどういうことでしょうか。
観音さまとは、慈悲の心にほかなりません。
大慈悲心です。
大いなる観音の慈悲の心を念じていたら、虎もおとなしくなっていたのでしょう。
お互い慈悲の心を持って、この困難な世を生き抜いて、穏やかな春風が吹いてくるように願います。
横田南嶺