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臨済宗大本山 円覚寺

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2021.09.30
今日の言葉

『お寺の掲示板 諸法無我』、お勧めします

『お寺の掲示板 諸法無我』が上梓されました。

2019年に出版されたの『お寺の掲示板』の第二弾であります。

一昨年の秋に出版された『お寺の掲示板』を、私は龍雲寺の細川晋輔さんから送っていただきました。

今回は、先日龍雲寺様での法話を終えて寺に帰ったら、出版元の新潮社から送っていただいていました。

なぜ新潮社から送ってくれたのかなと思っていると、私が新潮社の『不要不急』に文章を書かせてもらって、その時の担当の方が、この『お寺の掲示板』も編集されたのだと分かりました。

そんなご縁で送ってくださったのだと思います。

まず手にとって、パッと開いたページにあった言葉が、

「ほんとうの

いちばん深い闇は

わかっているという

思いです」

と書かれていて、私の心に深く深く刻み込まれました。

この頃、ようやく、分からないことに気がついてきました。

自分は何も分かっていないとしみじみと思うようになってきました。

それでもまだまだ、分かったつもりになっているのであります。

禅にしても仏教にしても、分からないことだらけ、まして況んや人生については、なおさらのこと、分からないものです。

更にもっと言えば、人の心は分からないものであります。

人は分かりたがる生き物だと思います。

しかし、分かることはないのだとつくづく思うのであります。

この本の著者である、江田智昭さんの解説がすばらしいのであります。

引用させていただきます。

「わかっている」という思い込みは、人間の一種の迷い(煩悩)です。仏教では煩悩の根本である迷いを「無明」と呼び、それはしばしば「闇」という言葉でも表現されます。

この「わかっている」という勘違い(無明の闇)は、仏様の「智慧の光り」(仏教の教え)に照らされることによってくっきりと明らかになります。私たち仏教の教えに触れることによって、自身の理性がそれほど信頼できるものではないと理解し、それをきっかけに謙虚な気持ちや思いやりの気持ちを取り戻すことができるのです。

と書かれています。

良い言葉だなと感心すること頻りでありました。

それから改めていちばんはじめのページを開くと、

コロナよりも
怖いのは
人間だった

神奈川県ドラッグストアの店員

と書かれた掲示板が載っていました。

この言葉は仏教伝道協会が催した「輝け!お寺の掲示板大賞2020」の大賞作品だそうです。

昨年の二月、新型コロナウイルスが猛威を振るいはじめた頃、多くの人がマスクを求めて殺到したことがありました。

その頃のドラッグストアの店員さんの言葉です。

私もこの言葉は法話などでよく使わせていただいています。

しかし、この言葉についての江田智昭さんの解説を読んで、痛棒をいただいた思いがしました。

江田さんはこう書かれていました。

「おそらくこの掲示板の「人間」という言葉を見て、ほとんどの人が傍若無人な振る舞いをする「他人」の姿を瞬時にイメージしたのではないでしょうか。「自分」のひどい振る舞いには気づかなくても、他人のひどい振る舞いは非常によく見えます。
自分も「人間」のはずですが、勝手に自分自身をそこから除外し、多くの人が無意識に「コロナよりも怖いのは他人だった」と心の中ですり替えてしまうのです。」

というのであります。

私自身もまた、自分を除外して他人のこととしてこの言葉を紹介していたと気がつかされました。

大いに反省します。

浄土真宗の僧侶でもある江田さんは、そのあとに妙好人の浅原才市さんの逸話を紹介してくれています。

ある有名な画家が才市さんの肖像画を描いたそうです。

できあがった画を見て才市さんは、こんな立派な肖像画は自分ではないと言いました。

書き直された肖像画には、頭にツノが二本生えていたというのです。

「頭に鬼のツノを描いてください。人の心を突き刺し、他人を傷つけてしまう恐ろしいツノです」と才市さんが画家に頼んだのだということです。

この話を紹介しておいて江田さんは、

「私たちは誰しも、才市さんと同じように他者を傷つけるツノを心の裡に持っています。他人の醜い本性や振る舞いに目を向ける前に、仏教を通して「コロナよりも怖いのは自分だった」と気づくことが大切なのかもしれません。」

と結んでいました。

一つ一つの掲示板の言葉もすばらしいのですが、この江田さんの解説がまたすばらしく、それも見事な法話になっています。

私も大いに反省させられました。

掲示板の多くは、経典の難しい言葉や漢文ではありません。
いろんな人の言葉であります。

そして読めば誰にでも分かる言葉であります。

禅はどうしても難しい禅語を使いがちですので、そのことも反省させられます。

盤珪禅師は、漢文による問答や説法を否定して、平話で、日常の言葉で仏法は伝わるのだと説かれていますが、まさにその通りであります。

「老いることも
死ぬことも
人間という
儚い生き物の
美しさだ」

という鬼滅の刃という映画の中の台詞や

「乗り越えられない
壁はない」

という水泳の池江璃花子さんの言葉もございます。

皆さまにもお勧めの一冊であります。

 
横田南嶺

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