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臨済宗大本山 円覚寺

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2021.09.21
今日の言葉

空を見よう、月を見よう

毎日新聞の日曜くらぶに連載されている、心療内科医の海原純子先生の、「新・心のサプリ」を毎週楽しみに拝読しています。

九月十九日には、「空を見上げて深呼吸を」という題で書かれていました。

海原先生は、

「私の、住む場所の優先順位一番はベランダと見晴らしだ。窓が開けられて、空が見えてベランダにプランターを置いて花やハーブを育てられないと息苦しくなってしまう。部屋は狭くていいし、そのほかの設備などはどうでもいいのだが、外の景色は絶対に見えないとまずい。これは贅沢(ぜいたく)というより自分を守るために必要な条件だとずいぶん前に気がついた。」

と書かれています。

私などは、広い寺に住まわせてもらっていますので、ベランダも見晴らしも必要かどうかを考えることもなく過ごしています。

窓を開ければ、どこまでもベランダのようなものであります。

そして、興味深いことに、

「窓を開けて空を見上げたり思い切り深呼吸することができないのはつらいが、人によっては、窓の外の景色など全く必要がないという方もいるようだ。皆さんはどうだろう。」

というのです。

どうも「『窓がなくて外が見られないのがつらい』という人がいる一方で、どうでもいいという人もいるのだ」そうなのです。

そこで、「自分は、どんな環境に弱いか、少しでもその悪影響を減らすにはどうすればいいかを知っておくことが、生きる上で大事なのかもしれない。」

と指摘されているのでした。

寺に住んでいますと、広くて自然豊かなところに住んでいていいですねと言われることがあります。

これは難しい問題でありまして、たまに外からお見えになるとそう思うのでしょうけれども、ずっと寺に住んでいると、これはこれで結構大変であります。

秋が深まると紅葉が綺麗であります。

大勢の拝観の方が見えます。

それはすばらしいからお見えになるのでしょう。

ところが、私のように寺に住んでいると、あの紅葉がいいなと思うことはまずありません。

あの紅葉が全部散って、あとすべて掃除をしなければならないのです。

ああ、たいへんだとしか思わないのであります。

広くていいと思われるかもしれませんが、管理が大変であります。

雨が降り続くと土砂災害の心配をしなければなりません。

台風は台風で、災害に備えなければなりません。

台風が過ぎた次の日などは、日がな一日掃除にあけくれます。

などなど、いろいろあるものであります。

それはそうとしても、それでもやはり、自然に囲まれて暮らすことは有り難く、幸せなことであります。

感謝をしなければ罰があたります。

先日諏訪中央病院にうかがった時にも、「天に星、地に花、人に愛」という言葉を紹介して、人間と人間の絆にすべて寄りかかるのではなく、天地自然との絆もまた大切にしましょうと話をしたのでした。

すると、そのあと対談をした折りに諏訪中央病院の須田万勢先生から、都会に住んで、自然も緑もないマンションの部屋に住んでいるような時にはどうしたらいいのかと聞かれました。

海原先生のように、窓があり、ベランダがあって、ハーブでも育てていれば良いでしょうが、窓があったとしても、すぐそこにビルが建っていたりして、空も殆ど見えない場合もあるでしょう。

せめて室内に観葉植物でも育てていればいいのでしょうが、それも難しい場合もあることでしょう。

そんな時に、どうしたら自然とのつながりを感じることができるのでしょうという質問をいただきました。

こういうことを聞かれることがたまにあります。

たしかにそういう場合もあるのです。

講演会場などでもそうです。

広いお寺の本堂で窓を開け放して、自然の空気が清々しい風として入って来て、鳥の声が聞こえてくるようなところですと、講演の内容よりも、大自然がすばらしい真理を教えてくれています。

ところが、コンクリートに囲まれた部屋の場合もあります。

いつだったか、東京タワーで講演を頼まれて、見晴らしのいい会場を想像して楽しみに出掛けたら、地下の部屋であって、見晴らしも何もなく、がっかりしたことがあります。

でも、どんな処にいても人間は大自然を感じることが出来ますと私は答えました。
どうしたら感じることができるのですかと、聞かれて答えました。

まず「コロナ禍の前であれば」と前置きして、そういう場合、はじめに、

「ちょっとこちらにお越しください」と言います。

すこし近寄って下さったら、

「もう少しこちらに」と言います。

そして手の届くところまで来たら、ポンと相手の肩を叩いて、「ここにあるでしょう」と伝えます。

自然はどこにあるのですかと問う、その人自身が大自然なのです。

このことを忘れがちであります。

私のこの身体はまるごと、大自然なのです。

呼吸も大自然の営みなのです。

田舎にいた頃によく、熊野川の河原で坐禅したり、海の波打ち際で坐禅したりしたものでした。

すると、自分の身体が大自然の川や海と全くひとつだと実感することができます。

この身体、呼吸、大自然そのものなのです。

ですから、どんなところであろうとも、静かに坐って呼吸していれば、私は深い緑の中を歩むと同じような気持ちになることができます。

大自然は身近なところにあるものです。

それでもやはり、時には窓を開けて空を仰ぎ、深呼吸してみることはよいことです。

お月見の習慣があることなどもすばらしいものです。

今宵の月はどうなるか分かりませんが、月を仰ぎましょう。

たとえ雲に隠れていたとしても、雲の向こうにお月さまがいらっしゃると思って空を仰ぎましょう。

 
横田南嶺

空を見よう、月を見よう

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