旅の途中
毎週楽しみに拝読しています。
八月十五日には、「人生という旅」という題でした。
冒頭に、
「夏休みはいつも旅行しているけれど、今年はどこにも行かない、という人も多い。私も毎年海外旅行をしていたが、昨年から海外への旅はできず当分お預けだなあ、と思う。」
と書かれています。
夏休みとはいえ、旅行もしづらいのがこの頃であります。
「旅行というのは不思議なもので、ほんの数日の短い時間なのだが、その時間を精いっぱい有効に使おうと考えて行動予定を立てるものだ。普段とは違う日常の中で、いつもとは異なる人、おそらく人生でもう二度と会うことはないと思われる人たちとかかわり、その数日を大事に丁寧に過ごす。」
と書かれていて、そんな日常と異なる場と時を過ごすのは、身心にもいいのでありましょう。
海原先生は、
「旅行は出発と終着がある。人生も同じで、誕生が出発、死が終着かもしれない。ただ、旅行はその期間を充実させようと努力するけれど人生は旅していることを忘れてしまう。
必ず終わりが来る旅だから、与えられた時間を無駄にしないように過ごす必要があるのに、そんなことは忘れて、いつまでも旅を続けられるような気になってしまいがちだ。それはもしかすると私たちが、人生という旅の終わりのことを忘れていたいからかもしれない。」
と指摘しておいて、「常に人生という旅のことを考えて生き抜いた人」のことを紹介されていました。
松尾芭蕉は
「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして 、旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の 思ひやまず」と詠ったことはよく知られています。
高校時代に、こんな文章に心惹かれて、暗唱したものでした。
また伊達政宗には、
「この世に客に来たと思えば何の苦もなし。朝夕の食事は、うまからずとも誉めて食うべし。元来、客の身なれば好き嫌いは申されまい。今日の行くを送り、子孫兄弟によく挨拶して、娑婆の御暇(おいとま)申するがよし。」
という言葉があります。
この世は、道中なのです。その旅に来た客なのだと思えば、自我意識も和らぐものであります。
戦乱の世を生き抜いた武将だけに味わいのある言葉です。
人生は皆誰しも旅の途中にあるのでしょう、帰り着くべきところは我が家にほかなりません。
高見順さんは「帰る旅」という詩を残されました。
この旅は
自然へ帰る旅である
帰るところのある旅だから
楽しくなくてはならないのだ
もうじき土に戻れるのだ
おみやげを買わなくていいか
埴輪や明器のような副葬品を
大地へ帰る死を悲しんではいけない
肉体とともに精神も
わが家へ帰れるのである
……
というものです。
詩集『死の淵より』にある詩です。
松尾芭蕉は
旅に病んで夢は枯れ野をかけめぐる
と詠って、旅の途中で生涯を終えたのでした。
思えば、ブッダもまた、旅の途中でお亡くなりになったのでした。
クシナガラでお亡くなりになるのですが、故郷を目指して旅をしていたのではないかと言われています。
そんなことを考えていると、『臨済録』の言葉を思い起こします。
上堂、云く、「一人有り、劫を論じて途中に在って、家舎を離れず。一人有り、家舎を離れて途中に在らず。那箇か合に人天の供養を受くべき」というものです。
意訳すると、
上堂して言う、
「ひとりはいつまでも途中にいながら、家郷を離れない。ひとりは家郷を離れず、また途中にもいない。さて、どちらのありかたが修行者として人天の供養を受けるのにふさわしいか?」答えを待たずに座を降りたのでした。
「途中」と「家舎」とを論じています。
「途中」とは旅の途上のことです。「家舎」とは帰りつくべき家のことです。
旅人は家郷をめざして旅の途上にあるのです。
山田無文老師は、
「人生というものは永遠に途中だ。永遠に道中におって、しかもいつでも終点だ。いつも未完成だ。人生は永遠に未完成であって、いつでも完成されておる。こういう境地がないというといかん。永遠に道中であって永遠に終点である。」
「人生は生まれ変わり、死に変わり、永遠に途中だ。その途中の一足一足が終点だ。極楽だ。道を歩くようなものだ。片足は上へ上げて前へ進めんならん。これが進歩だ。しかし、一方ではいつでもこの大地をしっかりと踏み締めて、ここが結構です、このままで結構です、このまま動きません、という片足がないといかん。両足を上げるからひっくり返ってしまうのである。いつでも進歩の道中にあって、いつでも、このままで結構だ、という安心を得ていくのが禅というものだ。」
と『臨済録』(禅文化研究所発行)で説かれています。
お互いに、一日一日が旅の途中であると思うのと同時に、一日一日家に帰っているのだと自覚することが大切でありましょう。
古人は詠いました。
行く先に 我が家ありけり かたつむり
私もまた、旅の途中であります。和歌山県民として生を享け、茨城県民となり、京都府民となり、一時東京都民となって、鎌倉市民となりました。
鎌倉もほんの一時の途中下車のつもりが、三十年の長きにわたっています。
それでもあくまで旅の途中でありますから、また新たな旅立ちにそなえたいという気持ちだけは持ち続けたいと思っています。
横田南嶺