道は山の如し
もっともそれ以前にも禅は多少伝わっていたのでありますが、本格的に伝わったのが鎌倉時代であって、そのはじめが建仁寺を開山された栄西禅師でありました。
それから、二十四流の禅と呼ばれるように、二十四もの系統の禅の教えが伝わったのであります。
第二番目は、永平寺を開かれた道元禅師であります。
主な方はというと、東福寺を開かれた聖一国師であります。この方は、駿河の人で、南宋に渡って径山の仏鑑禅師の法を継がれた方であります。
それから法灯国師がございます。
私がはじめて坐禅でお世話になった和歌山県由良町の興国寺を開山された方であります。
この方は、信濃国、今の松本のお生まれで、南宋に渡って無門慧開禅師について修行してその法を継いで帰国されました。
その時に『無門関』を将来されたのでした。径山寺の味噌の製法を伝えて、その時に出るたまりを醤油として弘まったという言い伝えがございます。それが今日の金山寺味噌だというのです。
それから、建長寺を開山された大覚禅師がございます。この方は中国のお坊さんで日本に渡来されたのでした。
それから、兀庵禅師で、建長寺の第二世になられた方であります。この方も渡来された方で、北条時頼はこの方について深く参禅されました。
それから、大休正念、佛源禅師であります。円覚寺の二世で、この方も渡来された方であります。円覚寺の蔵六庵が、この佛源禅師をお祀りする塔頭であります。
それからが、円覚寺の開山仏光国師がございます。南宋から渡来された方であります。
そして大応国師ございます。駿河の方で、南宋の虚堂禅師について修行して法を継がれました。
この方のお弟子が、大燈国師で大徳寺の開山であり、そのお弟子が関山慧玄禅師で妙心寺の開山であります。
この系統の禅が、江戸時代の白隠禅師を通じて、今日まで伝わっているのであります。
そうして二十四流まで続くのであります。
二十四流のうち、曹洞宗は三派のみで、あとの二十一流は臨済であります。
二十一流のうち、栄西禅師のみが黄龍派であり、その他の二十流は臨済宗楊岐派なのであります。
なにか随分煩瑣な説明になりましたが、日本の禅というのは、このようないろんな流れが入ってきたのであります。
かつてユーキャンという処が、日本の仏教の宗祖を語るというテーマで法話のCDを作る計画をなされました。
真言宗ならば弘法大師、天台宗ならば伝教大師、浄土宗は法然上人、浄土真宗は親鸞上人、曹洞宗は道元禅師などの祖師を語る法話集であります。
それぞれの宗派を代表する祖師がいらっしゃいます。
しかし臨済宗の場合は、それらと異なります。
教科書などには、鎌倉時代に日本に臨済宗を伝えたとして栄西禅師の名前が載っていますが、臨済宗の宗祖ではありません。
二十四流の中の一派であり、一番はじめだったということなのです。
ユーキャンからは、私が臨済宗の宗祖を語るようにと依頼されて、担当しましたが、栄西禅師だけを語っても伝わりませんので、お釈迦様の悟りから説き始め、中国の唐代の臨済禅師の話をして、そして鎌倉時代の栄西禅師の話をしてから、江戸時代の白隠禅師につなげて話をしたのでした。
ユーキャンの法話はもうそろそろ販売されるのではないかと思います。
臨済の場合、特定の宗祖がないというのも、禅らしいところなのです。
強いて言えば、一人一人が宗祖にも劣らぬ尊い存在なのであります。
そのことを自覚することこそ禅の本領でございます。
建仁寺で修行させていただいていた頃に、
「黄龍曰く、道は山の如し、愈升れば愈高し。
地の如し、愈行けば愈遠し」
という句が書かれた聯があったことが印象に残っています。
建仁寺を開いた栄西禅師が黄龍派なので、黄龍慧南禅師の言葉が掛けてあるのかと思ったものでした。
『禅門宝訓』には、そのあと、
「学者、卑浅にして其の力を尽くして止むのみ。
惟だ志、道に在る者は、乃ち能く其の高遠を窮む。
其の他は孰れか焉に与(くみ)せん」と続いています。
この道は、山のようなもので、上れば上るほど高くなってゆく、地面のようなもので、行けば行くほど遠くなってゆく。
ところが、仏道を修行する者の、志が浅いので、自分の力を尽くしたと思って途中でやめてしまう。
ただ志が、仏道にある者が、その高い処に、その遠い処にゆくことができる。
志の無い者には、どうして、そのような高く遠い境地に到り得ようか、到り得るはずがないという意味であります。
上れば上るほど、高くなり、険しくなり、苦しくなってきます。
しかし、その苦しみを超えて、上れば、上っただけ広い景色が見えるものです。
この辺でいいやなどと思って留まっていてはいけないのです。
森信三先生は、
「人間は進歩か退歩かのいずれかであって、その中間はない。
現状維持と思うのは、じつは退歩している証拠である」と仰せになっていますが、この辺でいいやと思っていると、それはもう退いてしまっているのであります。
まだまだ、まだまだと思って精進しなければなりません。
横田南嶺