病気が治りませんように
私など、病気が治りますようにと願うことしかありません。
この言葉は、『弱さの研究―弱さで読み解くコロナ時代―』にあった言葉です。
七夕の短冊に、「病気があって幸せ、治りませんように」と書いてあったという話です。
これは、どういう心でありましょうか。
最近こういうことがありました。
知人のまだ幼いお嬢さんが、今の時期に肺炎を起こして、入院されたという話を聞きました。
こんな話を聞くと、早く治りますようにと願うしかありません。
コロナの疑いもあるとかで、入院されて、両親も面会もかなわないとか。
たいへんな状況だと改めて思いました。
まだ幼いお嬢さんが、両親と離れて病院のベッドで過ごすことは、どんなに辛いことかなと思います。
幼いわが子に会えない親の気持ちも察するにあまりあるものであります。
コロナ禍は、こんな幼い少女の心にも深い影をもたらすのだと改めて思いました。
知人宅には、何度かうかがったことがありますので、お嬢さんにもお目にかかったこともあって、なお一層心が痛みます。
そんなことを思っていると、自分自身の肺炎の体験を思い起こしました。
管長に就任して間も無い頃でしたので、十一年前になります。
なにせ、それまでは、僧堂という修行道場で坐禅だけしていた人間が、急に管長などという役職について、慣れぬ仕事がいっぺんに増えたのでした。
元来私は人に会うことが苦手でありました。
人前で話をするなどということは、とても耐えられないものでありました。
それが、急に名刺を作らされて、あちらこちらに挨拶をする、人の来訪を受ける、人前で話をする、苦手なことの連続、そのまた連続で、一月も経たぬうちに体を壊し、風邪をこじらせて肺炎で入院となったのでした。
今からは想像できないことのように思います。
幸い一週間の入院で無事退院できたのでした。
その時に肺の検査をして、医師から、幼い頃にも肺炎を患った跡が残っていますと言われました。
そんなことを言われてすっかり忘れていた事を思い出しました。
そういえば、幼い頃に肺炎で何日も寝ていたことがありました。
田舎のことで、入院などはしませんでした。家で何日も寝ていたのでした。
そんな時に、母が付き添ってくれて、頭に乗せる手ぬぐいを取り替えてくれたり、お粥を食べさせてくれたりしたことを思い出したのでした。
私の方は、そんなことを全く忘却の彼方で、一人で修行して偉くなったような気になっていましたが、そういうことがあったことを思い起こし、改めて母に感謝して、病院のベッドの上で、涙を流したことでありました。
そんな記憶を思い起こすと、なおのこと、知人の幼いお嬢さんが、一人で病院で療養するというのは、お辛いだろうなと胸が痛むのであります。
入院していた時のことも思い起こしました。
私の病室のすぐ近くで、いつも何度も何度も、看護師を呼ぶブザーを鳴らす患者さんがいました。
夜中でも何度も鳴らして呼んでいました。
大きな声で何か言っているのも聞こえてきました。
ある時に、私のところに来てくれていた看護師さんと話をしていて、ちょうど、その方が大きな声をあげて、看護師さんを呼んでいる声が聞こえたので、思わず「たいへんですね」と声をかけたのでした。
何度も呼ばれて看護師さんがたいへんだと思ったのでした。
すると、そのお若い看護師さんが、私に「横田さん、あの方もたいへんなのですよ」と静かに言われました。
私は、その一言にハッとしました。
そうか、あの方はたいへんな思いをしているのだろうと、そこで私はやっと気がついたのでした。
看護師さんは、自分たちが何度も呼ばれてたいへんだと思っているのではなく、何度も呼ぶ患者さんがたいへんな思いをしているのだと察してあげていたのです。
私などは、肺炎とはいえ、普段薬など服用することもないものですから、処方していただいた薬がよく効いて、熱はすぐに下がって、あとは点滴するだけでしたので、のんびりした入院だったのです。
それに比べると、どういう事情か分かりませんが、その患者さんは、きっと自分などよりも何倍もの大変な思いをしているのだろうなと、そう思うと、それまではうるさいなと思っていた大声も、心静かに聞くことができるようになったのでした。
知ること、理解することで、同じ環境にいても、全く異なってくるものです。
仏教で大切なのは、やはりこの正しく知る、正見であり、智慧なのであります。
『弱さの研究』には、高橋源一郎先生が
「動けない病気など障がいを持っている人、ハンディキャップのある人たちというのを、僕たちは要するにネガティブな存在として、僕たちというより社会が、捉えようとしているかもしれないけど、僕はそうじゃなくて、逆に力をあたえてくれるんじゃないかというのが「弱さ」の研究をしようと思った理由です」
と書かれています。
そこで、「病気になれって言われたらなりたくないですけど、しかし、なって良かったねって発想がありうるっていうこと。これが僕たちがすごく知るべきではないかなっていのが、個人的な体験からでたことなんですけど」
というのであります。
『弱さの研究』には、短冊に「病気があって幸せ なおりませんように」とねがいごとを書かれたという精神科医の先生の話や、病気を抱えながらも、病気のおかげでと思うことができるようになった方の話が書かれています。
そうはいっても、私は、やはりどうか早く病気が治ってくれますようにとしか、祈ることができないのであります。
まだ幼いお嬢さんのことを思うにつけても。
横田南嶺