日々の丹精
円覚寺にも幼稚園がありますので、三月には卒園式を迎えます。
二月も下旬に入り、来月の卒園式が近づくと、私はまず卒園証書に、卒園児の名前を書くという仕事を始めます。
先代の管長はお忙しい方でいらっしゃったので、管長の印を押すのみでしたが、私は筆で卒園児の名前を一人一人書いています。
書きながらも、どうかこの子が健康で幸せでありますようにと祈る気持ちを込めています。
それから卒園児には、管長が色紙を一枚づつ揮毫して差し上げる習慣になっています。
これは朝比奈老師の頃からの伝統でもあります。
先代の管長は、「すなお」という三文字を書いて贈られていました。
そして先代はいつも卒園式で「円覚寺にはたくさんの背の高い杉の木があります。あの杉の木のようにまっすぐ素直に伸びて育ってください」とお話しになっていました。
私はというと、
花が咲いている
精いっぱい咲いている
わたしたちも
精いっぱい生きよう
この詩を書いて贈っています。
色紙に書くには少々長いのですが、書いています。
これは私の恩師松原泰道先生が、まだ中学生の頃の私に教えてくださった詩です。
紀州和歌山熊野で生まれ育った私は、ラジオで松原先生の『法句経』の講義を拝聴して感動しました。
そこでちょうどはじめて上京する機会があり、三田の龍源寺に松原泰道先生を訪ねました。
当時の松原先生は既に『般若心経入門』を著した後で、七十代の前半でもあり、多忙を極めていらっしゃいました。
しかし、紀州から私如き中学生が訪ねてきたのを快く応対下さいました。
そのおりに私は松原先生に、
「仏教にたくさんのお経や書物がありますが、一番大事な言葉を書いてください」と色紙に揮毫をお願いしました。
今思い出しても冷や汗が出ますが、松原先生はこの詩を書いてくださいました。
そして私に
「花は誰かに見てもらおうと思って咲いているのではありません。
人が見ていようが見ていまいが、花はその与えられた場所で精いっぱい咲いています。
その花の姿から何かを学ぶことが大切です」とお教え下さいました。
この言葉をずっと大切にして今日まで修行してきました。
卒園される園児には、まだ難しいかもしれませんが、この言葉を差し上げたいと思って書いています。
すぐには分からなくても、やがてこの色紙を見て何か気がついてもらえたらと思っています。
この「精一杯」ということは「今を大切に」ということにも通じます。
松原先生は、
「今は今しかない
今は帰ってこない
だから今を大切に」
といわれていました。
「只今がその時、その時が只今」とも申します。
それは更に一日一日を大事にする事に通じます。
松原先生は「よき人生は日々の丹精にある」とも仰せになっていました。
ある終末医療のお医者さんが、興味深いことを言われたのを覚えています。
多くの人の最期を見取って来られたその先生が、
終わりが美しい人、最期のきれいな人というのは、どの道にせよ精一杯生きた人、それから何かにつけ人に親切に尽くした人だそうです。
松原先生は百二歳まで、お説法を続けてお亡くなりになりました。
長寿の秘訣を聞いても、常々何も健康法も長寿の為に気をつけることもないと仰っていました。
しかし私は、この一日一日精一杯勤める事と、何か人のために尽くすということが、そのまま松原先生のお元気と長生きのもとだったのだろうと思っています。
今思い起こしましても、当時書物もたくさん出して、講演も多くて多忙を極めていらっしゃるのに、私のような一介の田舎の中学生が手紙を出しても丁寧にご返事を下さり、また貴重な時間の中から会う時間も作ってくださりました。
そんなご親切をしみじみと思います。
いただいたご恩返しに、私も松原先生の万分の一にも及びませんが、一日一日精いっぱい、丹精を込めて過ごしたいと願いますし、人には親切に、手紙の返事はなるだけ出すように気をつけています。
先日は、海外からお手紙を頂戴しました。
海外に返事を出すのが、よく分からないので、いつも管長侍者日記や、私のYouTubeをご覧くださっているというので、ここでお礼を申し上げます。
YouTubeをご覧くださって、床の間の掛け軸、お香入れ、ろうそくなど、私の選んだ背景が心に深く響くと書いてくださっていました。
「老師様の繊細なお心の表れ」と書いて下さっていました。
これは、誤解でありまして、私はそんな繊細な心は持ち合わせません。
到って無粋であります。
繊細な心遣いでもできていれば、はやくお嫁に行ったろうと思います。
どこにも行くあてがなくて、修行道場に居残っているだけなのです。
そのお手紙を下さった方が、ご自身で禅宗というのはどういう教えなのか、ご理解されたことを書いて下さっていました。
それは、
「他の方に心をこめて接し、必要があれば手を差し伸べ、相手からの見返りは期待せず、お料理、家事なども心を込めて、自然に感謝し、家族、他の方がして下さることに感謝して生きていくことではないか」
というのです。
素晴らしいご見識であります。
こういう気持ちで毎日を生きることこそ、精いっぱい生きることであり、日々の丹精そのものであると学ばせていただきました。
ここで御礼に替えさせていただきます。
有り難うございます。
海外の方にもご視聴いただくとは、現代のつながり、ご縁の不思議に改めて手を合わせます。
横田南嶺