制約があってこそ
「制約の中で生きる」という題であります。
海原先生のコラムは、この十月からレイアウトが大きく変わりました。
私などは、レイアウトが変わろうが、内容しか気にしないのですが、海原先生は違うのであります。
今の記事のレイアウトは、縦16字、横5行と、縦16字、横16行の組み合わせでできています。
そして全体が六段から成り立っています。
なんと海原先生は、読み手が読みやすいようにと、それぞれの段の場所から、次の段落の文章が始まるように書かれているというのです。
一つの段落の文章が、二段に分かれてしまうと読みにくいだろうとお考えなのであります。
私などは、そういうことには無頓着なので、読んでみて初めて気がつきました。
これは、これで大変なことであります。
それぞれの段の終わりで、段落が終わらないといけないのであります。
海原先生ご自身も、
「これはなかなか大変な作業である。自由にのびのびと書けない。漢字にするかひらがなにするかでも、字数が変わる」
と書かれています。
世の中は私のように無頓着な人間ばかりではなく、そのことに気がついたウェブデザイナーの方がいたのだそうです。
そこで、海原先生は、このレイアウトの件から、「制約の中で生きる」ことについて考えられたのでした。
「自由に書いていた時と字数だけでなくレイアウトという制約の中で書く場合では、それに費やす時間もエネルギーも全く違ってくる」というのです。
最後に海原先生は、
「私たちの人生には、回避不可能な制約がある」
と言います。
病気や家族の介護などさまざまあるでしょう。
「新型コロナウイルス感染症の拡大もそうだし、自分の力では避けられない制約を余儀なくされることもある。
そんな時、制約の中で、人生を少しでも心地よくする工夫と努力をして支え合うことが大切なのだと思ったりする」と
締めくくられていました。
制約の中というと、私は漢詩を作ることを思いました。
和歌ですと、五七五七七という字数の制約が、俳句では五七五という字数の制約や季語を使うという制約があります。
漢詩ですと、七言絶句、五言絶句など字数だけではなく、韻を踏むことに平仄を合わせるという制約があります。
この制約がかなり厳しいのです。
しかしながら、この制約の中で苦労して作っていると、制約の無い中で作る時には思いもしなかったことが生まれたりします。
制約があることによって、新たな発展があるのです。
これが漢詩を作る醍醐味なのです。
自分はこの言葉を使いたいと思っても、平仄が合わないと使えません。
それで他の字を探したり、他の表現を模索するうちに、思いもしなかった言葉が出て来たりするのです。
制約があることは、窮屈のように思いますが、新たな思いもかけぬ変化をもたらすことがあり、それが楽しみにもなるのです。
制約が無くなるのが自由だと思うかも知れませんが、制約の中での自由もあります。
むしろ制約あってこその発展もあるのです。
そんなことを思いました。
横田南嶺