快怡(かいい)し去らん
九月三日のお昼前に、僧たちへの別れの偈を作られました。
一切行無常。
生者皆有苦。
五陰空無相。
無有我我所。
「一切の行は無常、生者皆苦有り。五陰空にして無相。我我所有ること無し」
と読みます。
「すべては無常である、この世に生まれた者には皆苦しみがつきまとう。
お互いを構成している五つの要素は空であって、特定の姿は無い。
我も我が物というのはありはしない」
という意味です。
お昼をお召し上がりになった後に、
「吾、此の土に臨んで受苦八年、且喜すらくは、今夜快怡し去らん」と仰せになりました。
そのあと、頂相の讃を乞われてお書きになりました。
壁の外で、声がするので、何の声かと聞かれて、僧たちは国師の為に読んでいるお経ですと、答えるのを聞いて、
「自分の今世での縁は尽きた、今夜行く。皆は修行に勤めよ」と仰せになっています。
更に門弟が、国師の滅後に舍利はありますかと問われて、
諸仏凡夫同に是れ幻。
若し実相を求むれば眼中の埃。
老僧が舍利、天地を包む。
空山に向かって冷灰を撥(あば)くこと莫れ
と偈を答えられました。
「諸仏というも凡夫というも共に幻。そこに何か真実の姿を求めようとするならば、それは眼中の塵のようなものだ。
私の舍利はこの天地を包んでいる。誰もいない山の中で、冷たくなった灰をかき回して舍利を探すようなことはするなよ」
というほどの意味です。
最期に、「且喜すらくは、今夜快怡し去らん」と仰せになったことが胸を打ちます。
「快」は、「こころよい。しこりがとれて気持ちよい。さっぱりする。また、その感じ」です。
「怡」は、「よろこぶ。よろこばす。心が穏やかになごむ。心を和らげる」の意です。
生が苦であるのに対して、死は安らぎなのです。
国師のように、長年の修行の末に、更に南宋にあっても元軍に刃を向けられ、日本に来て苦労されながらも、元寇に遭い、信頼していた時宗公には先立たれ、自ら「受苦八年」という生涯でした。
その苦しみから解放されて、これでさっぱりする、楽になるという心境なのです。
この世で精一杯生きたならば、死は楽になると受けとめられるのでしょう。
「快怡し去らん」の一語に、国師の苦難のご生涯を思います。
横田南嶺