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臨済宗大本山 円覚寺

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2020.10.03
今日の言葉

快怡(かいい)し去らん

仏光国師の語録には、国師がいよいよお亡くなりになる末期の様子が記されています。

九月三日のお昼前に、僧たちへの別れの偈を作られました。

一切行無常。
生者皆有苦。
五陰空無相。
無有我我所。

「一切の行は無常、生者皆苦有り。五陰空にして無相。我我所有ること無し」

と読みます。

「すべては無常である、この世に生まれた者には皆苦しみがつきまとう。

お互いを構成している五つの要素は空であって、特定の姿は無い。

我も我が物というのはありはしない」

という意味です。

お昼をお召し上がりになった後に、

「吾、此の土に臨んで受苦八年、且喜すらくは、今夜快怡し去らん」と仰せになりました。

そのあと、頂相の讃を乞われてお書きになりました。

壁の外で、声がするので、何の声かと聞かれて、僧たちは国師の為に読んでいるお経ですと、答えるのを聞いて、

「自分の今世での縁は尽きた、今夜行く。皆は修行に勤めよ」と仰せになっています。

更に門弟が、国師の滅後に舍利はありますかと問われて、

諸仏凡夫同に是れ幻。
若し実相を求むれば眼中の埃。
老僧が舍利、天地を包む。
空山に向かって冷灰を撥(あば)くこと莫れ

と偈を答えられました。

「諸仏というも凡夫というも共に幻。そこに何か真実の姿を求めようとするならば、それは眼中の塵のようなものだ。

私の舍利はこの天地を包んでいる。誰もいない山の中で、冷たくなった灰をかき回して舍利を探すようなことはするなよ」

というほどの意味です。

最期に、「且喜すらくは、今夜快怡し去らん」と仰せになったことが胸を打ちます。
 
「快」は、「こころよい。しこりがとれて気持ちよい。さっぱりする。また、その感じ」です。

「怡」は、「よろこぶ。よろこばす。心が穏やかになごむ。心を和らげる」の意です。

生が苦であるのに対して、死は安らぎなのです。

国師のように、長年の修行の末に、更に南宋にあっても元軍に刃を向けられ、日本に来て苦労されながらも、元寇に遭い、信頼していた時宗公には先立たれ、自ら「受苦八年」という生涯でした。

その苦しみから解放されて、これでさっぱりする、楽になるという心境なのです。

この世で精一杯生きたならば、死は楽になると受けとめられるのでしょう。

「快怡し去らん」の一語に、国師の苦難のご生涯を思います。

 

横田南嶺

快怡(かいい)し去らん

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