逸外老師と椎茸
逸外老師には『耐える』という著書があって、私も中学から高校生の頃に愛読したものです。
逸外老師は、伊深の正眼寺僧堂の師家であり、妙心寺の管長にもなられた稀代の禅僧であります。
今も正眼寺には、正眼短期大学がありますが、この短大を作られたのも逸外老師であります。
私などは直接存じ上げないのですが、『耐える』という書物から多くのことを学ばさせてもらいました。
『耐える』という題の通り、逸外老師は修行時代はもちろんのこと、師家になられてからも耐える暮らしを貫かれています。
短大を創設するには、たいへんなご苦労であり、加えて周囲の反対も大きかったようで、その中で一人耐えて事を成し遂げる思いが綴られています。
短大で仏教に予備教育を受けて、そのうえで専門道場で己事究明と参禅弁道に励むということは、最も理想的であります。
椎茸づくりは、戦後の農地解放によって、寺領の田地が手放され、寺院の経済はいっぺんに窮乏してしまったことがきっかけでありました。
そこで逸外老師は、数万坪の境内に繁茂している雑木を伐り倒して、それに椎茸菌を培養し、椎茸栽培を行うことを考えたのでした。
老師は、椎茸栽培こそは、天地自然を相手にする最も理想的な利殖の方法であり、寺院経済再建のためには願ってもないことだと思われたのでした。
しかし、それに対して非難があがったのは当然でありました。
伝統を誇る寺の境内地を伐り拓くとは、寺の尊厳性がなくなってしまうとか、あれは禅僧ではない商売人だなどなど、たくさんあがったようです。
しかし、逸外老師は、自分自身内心、少しも悪いことをしているのではないので、いくら他人から悪口雑言されても少しもこたえなかったと記されています。
じっと耐えるというより、だまって相手にしないこと、そしてじっと耐えることに不思議な喜びを感じるようになったというのであります。
逸外老師の信念は「窮して変ず、変じて通ず」ということでした。
人間は一所懸命にやっていると窮するのが当たり前、若し窮しないというのなら、志が足らないからだというのです。
そして窮した時が一番大切で、ここで逃げたりやけを起こしたりしたならば、益々災難が追いかけてくるのです。
窮しても志を曲げずにじっと耐えていれば必ず状況が変化して、良い方へと道が通じてゆくのだということです。
今の困難な状況にあっても学ぶべき教えであります。
横田南嶺