法眼(ほうげん)の話
法眼は西暦八八五年に生まれ九五八年に亡くなった禅僧、法眼宗の祖と称せられています。
法眼は仲間と共に行脚している途中で雪に阻まれて羅漢桂琛(けいちん)のところで過ごしていました。
桂琛から、「どこへいらっしゃる」と問われました。
法眼は「どこまでも行脚の旅です」と答えます。
更に桂琛は「何の為の行脚です」と問うと、
法眼は「わからないのです」と答えました。
「不知」というのでした。
その答えを受けて桂琛は、
「不知最も親切」
と答えました。
分からぬというに越したことはないというのであります。
そう言われてもこの時にはまだ法眼はなんのことだか分かりませんでした。
その後、法眼たちは、天地と我と同根という問題について談じ合っていました。
桂琛は、山河大地と自己と同じですか、別ですかと問います。
最初法眼は別と答えます。
桂琛は、指を二本立てました。
法眼は「同じ」と答えると、また桂琛は指を二本立てました。
法眼の心中はいよいよ穏やかならざる様子です。
雪も霽れていよいよ出立する時、桂琛は、
「あなたは、この世のすべては心であると説いていたが、この庭先にある石もあなたの心の中にあるというのですか、外にあるのですか」
と問いました。
法眼は、「もちろん、心の中にあります」と答えました。
桂琛は、「あなたはどうしてこんな重い石を胸に抱えて旅に出ようというのか」と言いました。
法眼は返事のしようがなくなってしまいました。
そこで意を決して行脚をやめてこの桂琛に参禅します。
ところが、いくら問答しても、「そんなものではない」と否定されるばかりです。
とうとう何も言うことがなくなってしまい、
「私はもう何も言うべき言葉も、説くべき道理も無くなりました」
と率直に吐露しました。
桂琛は、「それそのままでよい」と答えました。
そこでようやく法眼も落ち着いたのでした。
大拙先生は、はじめから、「そのままでよい」というのではないと説かれています。
「詞窮まり理絶して進むことのできず退くこともできぬ窮地に到らなければならない」というのです。
山河大地と自己と同じか別か、考えること自体が分別です。
庭石が心の中にあるの外なのかと考えること自体が分別なのです。
禅の修行は、この分別知の否定です。
分別知を否定して無分別智を自覚させるのです。
はじめからありのままでよい、そのままだというのでは禅になり得ません。
法眼のような分別に迷う苦悩の体験を経て、分別知を絶してはじめて、「このままでよかった」と自覚されるのであります。
そういう体験を人為的にさせようとして、あえて公案という問題を与えて坐禅させて問答するのです。
ねらいは、何か分かることではありません。分別の否定にあるのです。
横田南嶺