玄峰老師の「自由」
山本玄峰老師は八十代ながらもお元気そのものでありました。
ある日の事、地元の婦人会の集まりが老師の住されていた龍沢寺で催されて、老師が法話をなされました。
老師は、
「自分は今まで、龍沢寺、土佐の雪蹊寺、原の松蔭寺、犬山の瑞泉寺などいろいろの寺に住職してきたが、いまだかつて雨戸を閉めたこともなければ、戸に鍵をかけたこともない。
人間は心を清浄にしておりと、自然に護法神が守ってくれ、泥棒や悪い人間が寄りつかなくなる。
たとえ泥棒や悪い人間が来ても、自然にまともな人間に成り変わる。
世間では、人を見たら泥棒と思え、火を見たら火事と思えというけれども、人ほど尊いものはない。
自分の心を清浄にしておれば泥棒も火事もなくなり、雨戸や鍵の心配もいらなくなる」
と長時間お話になったそうです。
法話を終えて、元気にお部屋に戻ってみると、なんとタンスの引き出しまですべて全開になっており、着物も下着もすっかり盗まれてしまっていたそうです。
肌着なども容易に手に入りない頃で、はじめは随分不自由されたそうですが、それからというもの、老師は、法話のたび毎に、
「私も近頃は泥棒に入られるような物持ちになり、先日は泥棒が来て肌着まですっかり持って行きました」
と宣伝されたので、忽ちの間に、盗られた以上の品物が集まってきて、たいへんだったという話であります。
玄峰老師の追憶集を調べていて、こんな話を見つけて思わず微笑んでしまいます。
どんなことが起こっても、とらわれずに自由に応対して、なんのこだわりもない老師のご心境がうかがわれます。
禍も自由に転じてゆかれる、そんなお力にあやかりたいものであります。
横田南嶺