キクラゲと椎茸
一転語は、春秋社の『人はみな仏である-坐禅和讃講話・一転語』の巻末にございます。
「或る人が極楽の周遊券を手に入れて方々見せて貰った。
一つの倉に入ってみると、木耳(きくらげ)の乾したようなものが一杯入っている「これは何ですか」と聞いたら、
「生きている時、有難いお説教を聞き流していた人の耳です。耳だけ極楽に来たんです」と言う。
もう一つの倉に行くと今度は椎茸を乾したようなものが一杯つまっているので、また
「これは何ですか」
と聞いたら、生前ただぺらぺらと説教ばかりしていた和尚さんたちの舌だという。
つまり舌だけが極楽に行ったのだ。
あなた方も、わしの話をただ聞くだけで、自分の暮しの上に活かさなければ、耳だけ極楽に行くぞ」
という話であります。
椎茸とキクラゲを作っておられる永島農縁の永島太一郎さんと対談しました。
永島さんは、サラリーマンの家庭にお生まれになり、大学を卒業して、外資系の銀行マンとして働き、その後起業するものの、数年でおやめになり、農家の娘さんとご結婚され、農業を嗣がれたのでした。
まだ三十九歳の方であります。
農家の婿に入っていろいろのご苦労もあったでしょうが、今は椎茸とキクラゲを作って暮らしていらっしゃいます。
椎茸とキクラゲというと、朝比奈老師の話を思い出したのでした。
『臨済録』にもキノコになるという話がございます。
お釈尊様から十五代目の祖師に迦那提婆(かなだいば)尊者という方がいらっしゃいます。
インドに毘羅国という国があり、梵摩浄徳(ぼんまじょうとく)という長者がいました。その息子が羅喉羅多(らごらた)でした。
この長者の家には古い樹があって、その樹に大きな茸(きのこ)が生えていました。
この茸を取って食べると、実においしかったそうです。
取って食べると、またすぐに生えて来るので、長者と息子はいつもそれを食べていました。
ところが、この茸は長者と息子だけにしか見えないのです。
他の者にはその茸の姿が見えません。
ある時、迦那提婆尊者が、この長者の家にお見えになって、長者が尊者に申し上げました。
「実は私の庭先にある樹に大きな茸が生えまして、それを食べると大変おいしいものです。
ところが、この茸は私と息子だけには見えるのですが、他の者はいっこう見えません。どういうことなのでございましょうか」と。
すると尊者は、
「その茸はあなたが前世に供養した僧の生まれ変わりです。その僧は、一代あなたの供養を受けたけれども、ついに悟りが開けなかったのです。
そこで、あなたから受けた恩に報いるために、今生に茸になって生まれているのです。
僧になって悟りが開けないということは、せっかくの供養を無駄にしたことになるから、その罰で茸になっているのです。
あなたと息子さんがもっともよく供養されたから、二人には見えるが、他の者には見えないのはそういう訳です。
時に、あなたは今いくつかになりますか」
長者は答えます。
「はい、七十九になります。」
尊者は、「そうか。すると、まだこの僧の業は尽きていない。あなたが八十一になるまでは茸が生え続けることだろう」
そう言われて、偈を作られました。
それが、
「道に入って理に通ぜざれば、身を復して信施を還す。
長者八十一 其の樹、耳(くさびら)を生ぜず」
という偈であり、『臨済録』にも説かれています。
永島さんとの椎茸対談は、楽しいものでありましたが、椎茸、キクラゲ、キノコというと、こんな話を思い起こして、より一層気を引き締めて修行をしなければならないと思うのです。
横田南嶺