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臨済宗大本山 円覚寺

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2020.07.27
今日の言葉

大海原の風を受けて

華厳経の中に、「無功用(むくゆう)」についての譬喩があります。一艘の小舟が川を下っています。

川を下るときには、櫂や櫓を用いて一所懸命に漕いでゆきます。

その小舟が川を下っていよいよ大海にでると、櫓や櫂で漕ぐことをやめて、帆をあげます。

その帆をあげるだけで、大海原の風を受けてひとりでに進んでゆくことができます。

その速さというのは、櫂や櫓で漕いでいる時とは比べようもないほどであります。

そのように、菩薩行の大海に入れば、自分の意志や力ではなく、仏さまの大いなる力にもようされて、一切のはからいなしに渡ってゆくことができるというのです。

これが「無功用」なのだということです。

玉城康四郎先生は、この大海というのは、今生きている人生の海原を表していると仰います。

「自分のはからいの櫂と櫓を用いることをやめて、自分の全人格体に仏の風を受けて、この人生の海原を泳いでいきたい」と説かれています。

「自分のはからいが捨てられて、ただ仏のはからいによって、あるいは仏の智慧によって動かされていく」、これが無功用であり、自然というのです。

私は、この譬喩を読んでいて、大海に入るまでは、一所懸命に櫂や櫓で漕ぐときが必要なのだと感じました。

最初から、海原にいるような気持ちで、帆をあげていてもいつまでたっても進みません。

一所懸命に櫂や櫓で漕ぐ時が必要だと思うのです。

馬祖道一禅師が、「平常心」、ありのままでいいと説かれ、

臨済禅師が「無事」といって、外に求める必要はないと説かれていますが、

馬祖禅師も臨済禅師も大海原に到っての言葉です。

仏道を求めるということは、戒律をたもち、禅定を修して一所懸命に努力する時が必要であります。

そうしてひたすらひたすら櫂と櫓で漕ぐ内に、あるときフッと大海原に出るのだと思います。

大海原に出たならば、もう櫂や櫓で漕ぐ必要は無くなり、帆をあげて風に任せていればいいのだということです。

この華厳経の譬喩から、やはりはじめは一所懸命に努力する時期があることを学びました。

 

横田南嶺

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