岸田奈美さんと対談
岸田ひろ実さんは、一昨年の円覚寺夏期講座にお越しいただいています。
『ママ、死にたいなら死んでもいいよ』の著者であります。
本の帯には、
27歳で長男を出産。知的障害のある子だった。
37歳、最愛の夫が突然死。心の支えを失う。
40歳、生存率20%の大手術。無事生還するも下半身麻痺となり、車椅子生活に。
50歳、(現在)これまでの経験をもとに年間180回の講演、人々に生きる勇気を与えている。
と書かれていますように、壮絶な体験をなされた方です。
その娘さんが、岸田奈美さんなのです。
今まで対談してきたのが、龍雲寺の細川さん、林香寺住職で精神科医でもある川野さんでした。
それに続いて、三人目の対談であります。
今までお二方とも僧侶でありましたが、今度はまもなく29歳になるという岸田さんであります。
華厳経の入法界品では、善財童子が五三人の善知識を訪ねて教えを乞う物語です。善知識といっても、菩薩さまもいらっしゃいますが、中には女性も大勢いて、職業もさまざまなのです。
男性も女性も、お坊さんも在家の人もいろんな人がいろんな生き方をしていて、それぞれがそれぞれに素晴らしく、そのそれぞれの方から教えを学ぼうというのです。
その善財童子にならうというほどでもないのですが、三回目の対談は、まだ二十代の女性なのであります。
しかし、その人生経験は私などには及ばないほど深くて濃いものです。
中学二年生の時に、お父さまが心筋梗塞で突然死されてしまいました。
ちょうど反抗期で、口げんかして別れたその明くる日に亡くなったのでした。
悔やんでも悔やみきれない思いだったことでしょう。
そのあとは、お母さまが懸命に働かれます。
子供たちを養ってゆかなければならないのです。
無理をなされたのだろうと思いますが、お母さまが、過労で倒れてしまいました。
突発性の大動脈解離、お母さまは下半身麻痺となってしまいました。
奈美さんは高校一年生でした。
奈美さんは、岸田家の中心となってゆかねばならなくなりました。
大学時代に、起業してお母さまもその会社で雇われるようになったのです。
これだけ書くと、実に悲劇中でもめげずに、健気に勤める方という印象がありますが、ご本人は、底抜けに明るい方です。
もちろんのこと、そのかげにはたくさんの涙があったろうと思います。
いろいろの話をうかがうことができました。
横田南嶺