次は自分
実際には、その本葬も新型コロナウイルス感染症の影響で、究めて簡素に内々で納骨の法要のみを行いました。
行事を縮小したので、そのお骨をお運びする輿をどうするか、相談しました。
何もそのようなものをわざわざ作らなくても、私が手に持って塔所までお運びするだけでも十分なのです。
しかしながら、やはりお亡くなりになった師の為に、私どもが出来る限りのことをして差し上げたいという思いと、本来はこのようにしてお運びするのだということを次の世代の方にも示す為にも、輿だけは作ったのでした。
いい木を用いて作りました。そんなことをしてもったいないのではないかと思われるかもしれません。
その時に私は『論語』の話を思い出しました。
子貢、告朔の餼羊(きよう)を去らんと欲す。子曰く、賜(し)や、爾(なんじ)は其の羊を愛(お)しむ、我は其の礼を愛(お)しむ。
という一節です。
告朔の餼羊とは、『広辞苑』によると、
「告朔」とは、「中国で、諸侯が天子から受けた暦を祖廟に収め、朔日ごとにその月の暦を祖廟に告げて施行したこと」とあります。
「告朔の餼羊」とは、『論語』の八佾に「告朔の儀式に、祖廟に供えるいけにえの羊」とあります。
「のち、告朔の礼は行われず羊を供える習慣だけが残ったことから、害のない虚礼は保存する方がよいこと、また、実を失って形式ばかり残っていることのたとえ」と説かれています。
一日に羊を供える儀式があったようです。
岩波文庫『論語』の現代語訳によれば、
子貢が月ごとの朔を宗廟に報告する告朔の礼が魯の国で実際には行われず、羊だけが供えられているのをみて、そのいけにえの羊をやめようとした。
先生はいわれた、「賜(し)よ、お前はその羊を惜しがっているが、わたくしにはその礼が惜しい。(羊だけでもつづけていけばまた礼が復活するときもあろう)」
と説かれています。
羊をいけにえにすることを思えば、木で輿を作るくらいのことはそれほどのことではありません。
亡き人を送る形式を残すことによって、亡くなった方にこちらが出来る限りのことをしてあげたいという気持ちを大切にしてもらいたいという思いがあって、輿を作ってもらい、内々の者ですが、小雨の中をお運び申し上げたのでした。
さまざまな行事などが簡略化されるのは、やむを得ないことだと思いますが、礼の心まで失ってはならないと思っています。
もとより、お亡くなりになった老師は、形式的な事はお嫌いでしたので、たぶん「また余計なことをして」とお思いになっていたと察します。
そんな小言をいただくことは百も承知の上で、それでも私たちとしては最大限出来ることをしてお送りしたいと思うのです。
輿で、老師のお骨をお運びし塔所に納骨して、その輿をどうしようかということを相談しました。
私は、こんな立派に作ってもらったものを一回だけで壊してしまうのはもったいない、次は私が乗っけてもらうことになるので、その時まで置いておきましょうと言いました。
そうだ、次はもう自分の番なのだと思うと、これはうかうかしていられないと痛切に思ったのでした。
しかしながら、その頃には、この輿のことなど忘れられているかもしれません。
横田南嶺