岩もあり 木の根もあれど
岩もあり 木の根もあれど さらさらと
たださらさらと 水の流るる
という和歌であります。
口ずさむだけで、いろんなことがあっても頑張ってゆこう、乗り越えてゆこうという気になるものです。
この和歌を作られたのは、甲斐和里子さんといって、慶応4年(1868)にお生まれになって、昭和37年(1962)に、九十五才でお亡くなりになっている方です。
広島県の浄土真宗のお寺にお生まれになり、京都女子大学の前身である顕道女学院の創始者であります。
明治の初期に日本で各地にミッションスクールが創設されましたが、仏教精神に根ざした女学校が必要と思い、生涯を女子教育に捧げられた方でした。
『甲斐和里子の生涯』という本を読んでいると、すばらしい信心の和歌がいくつもございます。
み仏をよぶ わがこえは み仏の
われをよびます み声なりけり
これは小欄でも幾たびも触れてきた「機法一体」といって、仏さまを信じる心と仏さまの大慈悲の心とはひとつであるという教えを詠っています。
譬え話で、赤ん坊が泣く声と母親が子を慈しむ心とは一体なのと、同じなのです。
激動の時代を生き抜かれた方ですから、人知れぬ苦労もたくさんあったのだと思います。
こんな和歌がありました。
み仏の 御厨子(みずし)のうちぞ 人知れぬ
我が悲しさの 捨てどころなる
悲しい思いを、人には言えないような悲しみを、み仏さまのお厨子のうちに、捨てるようにしてお念仏されていたのでしょう。
こんなことを述懐されていたようです。
「たへられぬやうな時は御戸を開き、つげぐちがはりに御念仏して居ますと、やがて心がラクになり、わが受持ちの仕事に従事することができますものです。」
また、こんな和歌もあります。
泣きながら 御戸を開けば 御仏は
ただうち笑みて われを見そなはす
これには、こういう思いを綴られていました。
「『オオ、エライ事が出来たのう、可哀想につらかろうが、わしが始終いふ通り娑婆じゃからのう、しかたがない。まあしばらくの間は辛抱せいよ』と仰せられるやうに感ぜられ、ジッと御念仏もうして居るうち悪寒を覚えるほどの苦しさも、丁度朝日にてらされる氷のやうに少しづつ解けて行き、いつとなく心もなごやかになりました……」というのです。
『甲斐和里子の生涯』を読んでいて、そんな苦労を経てこその和歌だと思うと一層味わいが深まりました。
かかわらず とらわれずして 大空を
こころかろげに 白雲のゆく
岩もあり 木の根もあれど さらさらと
たださらさらと 水の流るる
(文中の引用は『甲斐和里子の生涯』(自照社出版)から)
横田南嶺