師の慈悲
十三日は、足立老師の二七日です。
本山の和尚さんたちとでお勤めしました。
足立老師がお亡くなりになって、お悔やみに見える方々が相次いでいます。
わざわざ弔問にお越し下さるという方は、みな老師にお世話になったという方ばかりであります。
在家の方が多いのですが、先日も毎年足立老師を訪ねることを楽しみにしていたという方が見えて下さいました。
老師の庵にうかがうと、いつも上機嫌で、楽しく会話するうちに、二時間が過ぎ、時には三時間も過ぎていたと仰せになっていました。
本当にうれしそうでした。
そんな話を承ると、私などには、どうも自分が接してきた老師とは別人のようにしか思えません。
三十年来お仕えして、いつお伺いしても、頂戴するのは厳しいご叱責かお小言か、はたまたそれにまして厳しい辛辣なる嫌みか皮肉でありました。
参上するたび毎に、いかにして師のもとを速やかに辞するかだけを考えていました。
二時間も話して楽しいという感覚は理解できないのであります。
ご病気になって、会話が難しくなられても、お伺いして、私の顔を一瞥なさると、
世の中でこれ以上不愉快なことはないという表情をなされて、顔を背けられていました。
それだけに、以前小欄で書いた最後の笑顔は、看護師さんかヘルパーさんと間違えたのではないかと思ったのです。
今になって思うのは、世の中はすべて陰と陽で成り立っています。
陽があれば、必ずの背景には陰があって成り立つのです。
老師が、多くの信者さんたちに、暖かく接しておられたのは、
その背景に私などに終始厳しく接してくれていたことがあればこそではないかと思ったりします。
そう思えば、あまたのご叱責も、すこしは皆様のお役に立ったのかと納得しています。
横田南嶺