「仏の一字、聞くことを喜ばず」
趙州(じょうしゅう)和尚の言葉に、「仏の一字、吾聞くことを喜ばず」というのがあります。
仏教を学ぶ者にとって、仏とは理想の境地であり、目指すものであり、よりどころとなるものであるはずです。
ところが、趙州和尚は、仏という一文字すら、聞くことを喜ばないというのです。これは、どういうことでしょうか。
ある時に、趙州和尚が仏殿のそばを通っていると、一人の僧が恭しく礼拝していました。
仏殿にお祀りしているのは、寺のご本尊ですから、それを礼拝するのは当然のことです。
しかし趙州和尚は、その様子を見て、その僧を打ったのです。趙州和尚といえば、臨済禅師や徳山禅師と異なり、
棒や喝で人を指導するのではなく、言葉で人を導いたことで知られます。めったのことでは、棒で打ったりしない禅僧です。
それが、なんと礼拝している僧を打ったのですから、驚きです。
僧は、礼拝することは良いことではないのですかと問いました。趙州和尚は答えました。
良いことも無い方がましだと。「好事(こうず)も無きには如(し)かず」というのであります。
これは、どういうことかと言えば、趙州和尚にしてみれば、仏といい、或いは仏法といい、
すべて自分自身の心であり、毎日に暮らしそのものにあると体得されているのです。
その自分自身を離れたところに、特別何か尊いものを認めることを戒めているのであります。
自己の外にことさら、聖なるものを認めることを嫌うのであります。
この頃は、曼荼羅などというものが、よく注目されています。たしかに仏の世界を表した、
すばらしい絵であります。
しかし、私などは、すばらしいなと思いながらも、どうしても内心「好事も無きには如かず」
という思いがしてしまいます。
曼荼羅はすばらしいものだけれども、私達の普段目にしてるこの山の景色、庭のたたずまい、
すべてが曼荼羅ではないかと思ってしまうのであります。
何もあのような特別な絵を描かなくても、仏の世界は、私たちの毎日の暮らしにあるのだと思います。
日常の何気ない風景も曼荼羅だと思ってしまうのです。
趙州和尚というお方は、十七、八の頃に出家して悟りを開き、南泉和尚の下で修行を積むこと実に四十年、
さらに三年南泉和尚の墓守をして、六十歳から禅の行脚に出て、諸方の老師方と問答して、
心境を更に練り深めて、八十歳でようやく趙州の観音院に住されました。
そこで四十年間お説法なさって百二十歳でお亡くなりになった方です。
もう仏法は、趙州和尚の体全体に染みわたっているのでしょう。ですからこそ、
分のこの心と毎日の暮らしの外に、仏も法も認めることはないという心境なのです。
我々は、趙州和尚の言葉だけまねてはいけません。趙州和尚の「仏の一字聞くことを喜ばず」
という一語が出てくるまでに、どれほど仏道を修め、修行を重ねに重ねたのかと思わなければなりません。
仏法を完全にわが身に消化されたからこそ、口にされた言葉であるのです。それまでは、ひたすら仏さまを礼拝し、
経典を読み、坐禅し数息観をし、威儀作法を習い、どこまでも仏法を身につけていく
努力を惜しまないようにしなければなりません。
{横田南嶺老師 提唱より}