僧は、山中がよいー政黄牛のことー
惟正(いせい)禅師(986~1049)という方は、いつも黄色い牛に騎っていたので、
「政黄牛」とあだ名されていました。身の回りの物を、牛の角にひかけて、
悠然と暮らしていました。
ある時、役人に呼ばれて、役所で仏法について語り会っていました。
その役人から、「明日酒宴があるのですが、禅師が戒律を守っているのは重々承知のうえで、
あえてこの私に免じてお願いします。どうか、明日お出ましいただいて役人達に、
仏法の話を聞かせてください」と頼まれました。禅師は、よいだろうと肯いました。
ところが、明くる日に、禅師は一つの漢詩を届けさせて、会合には出向きませんでした。
その詩が
昨日、曽て今日を将って期す
門を出て杖に倚って又思惟す。
僧と為っては只まさに巌谷に居すべし。
国師筵中、甚だ宜しからず。
意味を申しますと、「昨日は、今日の会に出ると約束したけれども、
あれから門を出て、杖に寄りかかりながら、考え直した。僧となったからには、
やはり山中の居るのよいと。国の名士達の集まりなどに出かけるのは、
やはりふさわしくない」という処です。
この偈を、円覚寺の中興大用国師誠拙禅師は、よく墨跡に書かれています。
誠拙禅師は、松平不昧公をはじめ、当時の錚々たる知識人や文化人と交流がありますが、
この偈をよく書かれていることを見ると、心中では、僧はやはり山中にいるべきで、
世の人々の交わりなどは、ふさわしくないと思っていたのかもしれません。
自戒の気持ちで、この偈を書かれていたのだろうかとも思うのであります。
誠拙禅師の慚愧の心を思います。
(平成30年 横田南嶺老師 『武渓集提唱』より)
(後記)
今日から、11日まで円覚寺僧堂では、制末大攝心(1週間の坐禅集中修行期間)となります。
横田南嶺老師をはじめ、雲水(修行僧)や居士・禅子(在家修行者)が禅堂に籠り
坐禅修行に精進しています。