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臨済宗大本山 円覚寺

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2018.07.05

僧は、山中がよいー政黄牛のことー


 惟正(いせい)禅師(986~1049)という方は、いつも黄色い牛に騎っていたので、

「政黄牛」とあだ名されていました。身の回りの物を、牛の角にひかけて、

悠然と暮らしていました。

 ある時、役人に呼ばれて、役所で仏法について語り会っていました。

その役人から、「明日酒宴があるのですが、禅師が戒律を守っているのは重々承知のうえで、

あえてこの私に免じてお願いします。どうか、明日お出ましいただいて役人達に、

仏法の話を聞かせてください」と頼まれました。禅師は、よいだろうと肯いました。

 ところが、明くる日に、禅師は一つの漢詩を届けさせて、会合には出向きませんでした。

 その詩が

昨日、曽て今日を将って期す

門を出て杖に倚って又思惟す。

僧と為っては只まさに巌谷に居すべし。

国師筵中、甚だ宜しからず。

 意味を申しますと、「昨日は、今日の会に出ると約束したけれども、

あれから門を出て、杖に寄りかかりながら、考え直した。僧となったからには、

やはり山中の居るのよいと。国の名士達の集まりなどに出かけるのは、

やはりふさわしくない」という処です。

 この偈を、円覚寺の中興大用国師誠拙禅師は、よく墨跡に書かれています。

誠拙禅師は、松平不昧公をはじめ、当時の錚々たる知識人や文化人と交流がありますが、

この偈をよく書かれていることを見ると、心中では、僧はやはり山中にいるべきで、

世の人々の交わりなどは、ふさわしくないと思っていたのかもしれません。

自戒の気持ちで、この偈を書かれていたのだろうかとも思うのであります。

誠拙禅師の慚愧の心を思います。

(平成30年 横田南嶺老師 『武渓集提唱』より)

(後記)

 今日から、11日まで円覚寺僧堂では、制末大攝心(1週間の坐禅集中修行期間)となります。

横田南嶺老師をはじめ、雲水(修行僧)や居士・禅子(在家修行者)が禅堂に籠り

坐禅修行に精進しています。

僧は、山中がよいー政黄牛のことー

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