命がけの問答
唐代の禅僧に船子(せんす)和尚という方がいます。この僧は、薬山のもとで修行を終えて後、
船の上で暮らしていました。修行仲間だった道友に、もしも「これは」と思う禅僧がいたら、
私の処へ寄こして欲しいと頼んで、自身は船の上で思いのままに暮らしていました。
或る日のこと、とうとう道友に紹介された僧がやってきました。
この僧と船子和尚は、船の上で問答しました。
激しい問答のうちに、僧は船から水中に落とされてしまいました。何とか船に上がろうとする僧に
「さあ言え、言え」と迫ります。何か答えようとすると、船を漕ぐ櫂で僧を打ちすえました。
そこで僧はハッと悟るところがあったのです。船子和尚も、自分が薬山のもとで得たものを、
あなたも体得できたとその悟境を認めました。
僧が、船子和尚のもとをお暇しようとしました。船から降りて、岸に上って、何度も何度も
お辞儀をして別れを惜しんで去ってゆきます。すると船子和尚が、「オイ、和尚よ」と呼びました。
僧が振り返ると、船子和尚は櫂を立てて合図しながら、船をくつがえして入水して亡くなりました。
自分の教えを受け継ぐ者が出来たら、もう用はないというのでしょうか。
唐代の禅僧の問答の中でも、実に命がけの問答であります。
詩人の坂村真民先生は「命がけ」という詩を残されています。
命がけということばは
めったに使っても言っても
いけないけれど
究極は命がけでやったものだけが
残ってゆくだろう
疑えば花ひらかず
信心清浄なれば
花ひらいて
仏を見たてまつる
この深海の真珠のような
ことばを探すため
わたしは命を懸けたといっても
過言ではない
人間一生のうち
一度でもいい
命を懸けてやる体験を持とう
(『はなをさかせよ よいみをむすべ 坂村真民詩集百選』より)
船子和尚のような命がけの問答を見ると、私達の修行などは、畳の上の水練に過ぎないかもしれません。
そうかといって、とてもそんな命がけの修行ができるというものでもありません。
せめて、祖師方の命がけの修行によって、今日に禅が伝わっているのだという事実を
忘れてはならないと思います。