五つの伝え方
ツユクサ@黄梅院
印度から達磨様によって伝えられた禅の教えは、中国において五つに分かれてゆきました。
今の日本にはそのうち、臨済宗と曹洞宗の二つが伝わっています。
そのほかに、雲門宗、潙仰宗(いきょうしゅう)、法眼宗というのがあります。
根本はみな同じなのですが、人を導いてゆくそのあり方に違いがあります。
臨済は、一喝のもとにすべての迷いを消し去るはただきがあります。
雲門宗は、言葉の見事さが特徴です。「日々是れ好日」などというように、
簡潔な品のある言葉で伝えました。曹洞宗は、長い丁寧な手紙を書いても、
相手の家には届かないようなものだと譬えられますが、
論理的な丁寧な教えで示そうとしました。
潙仰宗というのは、潙山と仰山の師弟二人の問答、かけ合いによって教えを伝えました。
法眼宗は、きんちゃく切りのようなはたらきがあるといわれます。
何気ない会話をしているうちにも相手のふところにあるものを盗むのです。
禅で盗むというのは、悪い意味ではありません。
相手の迷い、悩み、苦しみを奪い取るはたらきをいいます。
この五つの教えを単に昔の話で終わらせるのではなく、
私たちが今禅を伝えるときにも活かすことができます。
禅を伝えるとは、お互いの心が仏心仏性であると気づかさせることにほかなりません。
外に真理を求めるのではなく、お互いの心こそが仏であったと気づくのです。
その為に、時には臨済の如く、あれこれ言わずに、一喝のもとに目覚めさせる場合も必要でしょう。
雲門のように、きれいな言葉で伝える場合もあります。
曹洞のように、時には丁寧な長い手紙を書いて伝えることも必要です。
潙仰宗のように、父と子、師と弟子の会話で伝える場合もありましょう。
法眼宗のように、何気ない会話のうちに、相手にも気がつかれないように、
悩みや苦しみを無くしてあげることもございます。
禅を伝える時に、その相手はどういう人なのか、
今どのような伝え方が適切なのか、よく判断して、
五つの伝え方のどれがふさわしいかとよく見極めて
用いてゆくことが大事でしょう。
{平成30年5月23日 横田南嶺老師 『武渓集提唱』より}