コーネル大学生との禅問答① 「一日一語144」
先週、6月15~17日の2泊3日で、アメリカのコーネル大学生20名が
円覚寺・居士林に寝泊まりしながら、禅の修行生活を体験しました。
その際に、16日の午前7時半から8時半まで1時間余り、
横田南嶺管長をお招きし、学生との質疑応答の時間が設けられました。
歴史に残る語録に載っているようなやり取りを彷彿とさせるものでしたので、
そのいくつかの「禅問答」を紹介します。
学生①:この時世にいろいろな国同士の政治的な争いがありますが、
その中で禅というものが貢献できるとしたら、どういうものがありますか?
老師: あなたに訊きますが、今、この場所に争いは起きていますか?
学生:(しばらく沈黙があって)ありません。
老師:それが答えです。(しばらく間があって)今、ここには、殺し合いは
ありません。鳥が鳴いている。朝日が差している。みんなでお茶を飲んでいる。
これで、すべて。(一瞬、間があって)終わり!(一同笑い)
学生②: 老師がお好きな詩はございますか?ご紹介いただけますでしょうか。
老師:(窓の外から鳥の声が聞こえている)鳥の声が詩だと思っているのだけどね。
たくさんの良い詩というのは、勉強して覚えている。しかし、今、こうして
鳥の声を聞いていると、これに勝る詩は出てこない。
(しばらく間を置いて)(この)詩を聞いてください。
学生③: 老師に私たちにアドバイスをしていただきたいのですが、ここ(お寺)にいると
すごく心が落ち着いて平和で幸せな感じがしてくるのですが、では、お寺を出た後
日常生活に戻った時にどうやってここ(お寺)の落ち着いている心、幸せな心を
維持することが可能ですか?
老師:ここ(お寺)で暮らしてる時の心を持って帰ろうと思っても、それは無理なことです。
問題なのは、ここの暮らしが静かで良くて、日常の暮らしがうるさくて嫌だという
分け隔てて、好き嫌いをする心が問題をおこしています。
私自身も年がら年中、ここ(お寺)にいる訳では、ありません。電車にも乗ります。
電車に乗ったら、電車を楽しむしかしょうがない。
(しばらく間を置いて)その場所にいながら、過ぎたことを思い出すのは無駄であります。
その比較をする、あっちは静かでこっちはうるさいをと比べる心がなくなれば、
どこでも幸せであります。