第2回 円覚木鶏会 開催
今日は、円覚寺大方丈に於きまして、横田南嶺老師や雲水、若手和尚、居士が参加して
第2回円覚木鶏会が開催されました。木鶏会というのは、人間学を学ぶ月刊誌『致知』を
活用した月例の読書会(勉強会)です。
先月に致知出版社の社員さんに来ていただいて木鶏会のやり方の指導を受け
今回が2度目の開催となりました。
まず、横田南嶺老師によるリード文「願いに生きる」(致知出版社社長の藤尾氏の文章)の
素読から始まりました。南嶺老師曰く「その人が、何を願って生きているかで、
その人の体から滲(にじ)み出る味わいが違ってくるものです。」
司会進行役をつとめる雲水さんから、全体の流れなどの説明。
くじ引きで四人一組になって、今月の致知より選ばれた課題記事を読んでの感想を
発表していきます。ちなみに今月の課題記事は「感動の歴史が子供たちの道徳心を育む」
(横浜市立中学校教諭服部 剛先生)でした。
まず、四人の中でリーダーを決め、リーダーから時計回りに感想を述べていきます。
それぞれの感想が終わるごとに残りの三人は拍手をし、その感想に対する感じたを
言っていきます。
グループごとのでの感想文発表と意見交換が終わると、
次は、各グループの中ごとに、最も良かった感想文が選ばれ、
各グループの選ばれた人が全員の前で発表します。
各グループの意見などをまとめたものをグループリーダーが発表していきました。
最後に、横田南嶺老師による総括となりました。
「小泉八雲は、日本人のことを、個人の幸福は人の幸せによって成り立つ
という価値観を持った民族であると言われた。江戸時代までは、外国人にも
そう見られる、優れた教育がなされていたはずです。・・・
落語に「文七元結(ぶんしち もっとい)」という話があります。
この話は、自分の幸せは人の幸せの上に成り立つということを
物語っていて、主人公である江戸庶民ののんだくれのような人までそのような
道徳・価値観を持っていたことを示しています。・・・
しかし、現代の若手落語家には、この価値観を理解ができないという人が
増えているそうだ。・・・
歴史を学ぶということは、物事を多面的に見ることが大事であります。
明治維新では、それまでの江戸時代の教育をほとんど否定しましたが
それで良かったのか。私たち日本人は、明治維新や終戦など時代が
大きく変わる時というのは、得てして、過去を全部否定して
新しく進むことをしてきましたが、それでは、また、同じ過ちを
繰り返すことにならないでしょうか。
過去のほんの一部を取り上げて全否定するのではなく、
こうした読書会を通して歴史を学びできるだけ多面的に見る目を
養って欲しいのです。」