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臨済宗大本山 円覚寺

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2015.12.08

一日一語 58

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<池に映る黄葉 大方丈・裏庭にて>

 禅は単なる禅語を覚えてその言葉を拈弄するものでは、決してありません。

その言葉に於いても、必ず実体験がなくてはならない。

祖師方の修行ぶりというのを学ぶほど、今日の我々と比べて、私たちは、

深く反省しなければなりません。

 臘八大攝心は、別名「命取りの攝心」と呼んでいますが、これも今では

すでに言葉だけになっています。命をかけるということは、我々では

到底、及び難いことです。

 しかしながら、少なくともお釈迦様や仏光国師というような歴史に

名を残した方々は、「朝に道を聞かば 夕べに死すとも可なり」といいますが

まさに命をかけて道を求めました。その命をかけて求めた道だけがこうして

今日に伝わっています。

 大悟というのは、決して一遍ですべて片付いて終わるものではなく

人間の心というものは、そのように単純なものではありえない。

迷いながら、つまづきながら、求めながら、失いながら、一歩一歩

新たな気づきというものが得られるものであります。

{平成27年 臘八大攝心最終日 『仏光録提唱』より}

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