一日一語 51
雑念、妄想、好きだ嫌いだ、落ち込んだり、嘆いたりとする様々な思い、
感情の本質とは何であるか?これはいったい何であるかを観ていくことが
大切です。
道を求める手がかりとなるものは、今、この心を観るということに他なりません。
私を担ぎ出し、私を苦しめる感情という波の本質は何か?それをもっと端的に言えば
今、ここで話を聴いているものであります。それは、いったい、何者であるかを
観ていくのです。
感情の起伏を心の波と表現しますが、その波のおおともは何であるか?です。
波の現象、表れた表面だけを見て一喜一憂するのではなくして、波の源は何であるか?
お互いのこの心の源・おおもとは何であるかを観ることです。
表面だけを見て、みんな、雑念だ妄想だと騒いでいますが、それがいったいどこから
湧いてくるのか?おおもとは何なのか?を観ていくのです。
私たちの心は、普段、外に向かって働いている。それを逆の方向に求めさせる。
感情が湧いてきたら、その感情が湧いてくるおおもとは何であるかと観ていく。
そのおおもとは、もう生きるというも死ぬということもなく、いつ生まれたという
こともない。我と人との隔たりもなく、仏様と私たちというそんな区別、差別もない。
切れ目もなければとぎれもありはしない。
それを仏心と言ったり、神様と言ったり、何か大いなるものと呼んだりしている。
しかし、何と呼ばれようが、それは後からつけた名前であって、それを少しでも
自分で体感をすることが大切です。
{平成27年11月29日 日曜坐禅会『伝心法要提唱』より}