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臨済宗大本山 円覚寺

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2015.11.30

一日一語 51

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 雑念、妄想、好きだ嫌いだ、落ち込んだり、嘆いたりとする様々な思い、

感情の本質とは何であるか?これはいったい何であるかを観ていくことが

大切です。

 道を求める手がかりとなるものは、今、この心を観るということに他なりません。

私を担ぎ出し、私を苦しめる感情という波の本質は何か?それをもっと端的に言えば

今、ここで話を聴いているものであります。それは、いったい、何者であるかを

観ていくのです。

 感情の起伏を心の波と表現しますが、その波のおおともは何であるか?です。

波の現象、表れた表面だけを見て一喜一憂するのではなくして、波の源は何であるか?

お互いのこの心の源・おおもとは何であるかを観ることです。

 表面だけを見て、みんな、雑念だ妄想だと騒いでいますが、それがいったいどこから

湧いてくるのか?おおもとは何なのか?を観ていくのです。

 私たちの心は、普段、外に向かって働いている。それを逆の方向に求めさせる。

感情が湧いてきたら、その感情が湧いてくるおおもとは何であるかと観ていく。

 そのおおもとは、もう生きるというも死ぬということもなく、いつ生まれたという

こともない。我と人との隔たりもなく、仏様と私たちというそんな区別、差別もない。

切れ目もなければとぎれもありはしない。

 それを仏心と言ったり、神様と言ったり、何か大いなるものと呼んだりしている。

しかし、何と呼ばれようが、それは後からつけた名前であって、それを少しでも

自分で体感をすることが大切です。

{平成27年11月29日 日曜坐禅会『伝心法要提唱』より}

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