われらは仏の子どもなり
今日の日曜坐禅会で横田南嶺老師が提唱されたことをまとめてみました。
私たちは皆、仏様の分身であり、仏様の心をいただいて生きている
仏様の子どもであるというのが本来の姿であります。
しかし、私たちは、そのことを一変に信じて納得することができません。
こんなに迷い苦しんでいる私のどこが仏様なのか?この私のどこに
仏様の心をいただいていると言えるのだろうか?本来の姿と言われても
とても受け取りがたい、信じがたいと思われるでしょう。
そういうわけで、一つ一つ段階を踏んで仏の子、仏の心を持って
生まれて来たということに気が付いていくのです。一変に気が付けば
良いのですが、私たちは長い間、迷いの生活を続けてきているので
難しいので段階を経ていくのです。
そこで、まず、呼吸を数えることから始めます。別段、呼吸を数えようが
数えまいが、私たちは、誰一人例外のなく仏の子であります。しかし、
一変にそのことを受け止めることが出来ないから、呼吸を数えることから
始める。
次に手を組み足を組み、そして、長く坐禅をしていると老師から公案(禅の問題)
をいただくという風に段階を経ていきますが、本来の姿から見れば、別段、
こういうことをやろうが、やるまいが皆、最初から仏様の子どもなのです。
自分が仏様の心を持って生まれて来ているとそこにはっと気が付きさえ
すればそれで結構なのです。
こうしてお寺に来て坐禅をしたり、お経を読んだりすると何か特別なものに
なっている気がしますが、本当のところは、別段、何か特別なことをして
仏様の子や仏様の心になるわけではなく、初めから仏様の子であり
初めから仏様の心を持っているのです。
私たちは、素晴らしい財産は全部心の内にいただいているのです。
日曜坐禅会(第1,3,5日曜日)は、8月中、休会となります。
次の再開は、9月6日となります。