夏期講座 最終日
今日で第80回円覚寺夏期講座も最終日となりました。
夏期講座1限目で横田南嶺老師が提唱されたことをまとめてみました。
「ただ誹られるだけの人、またはただ褒められるだけの人は、過去にもいなかったし
未来にもいないであろう、また現在にもいない。」
お釈迦様は、世に中で生きていくということは、ただひたすら誹られる人も
いなければ、ただひたすら褒められる人もいないと仰せになっています。
文句を言われてばかりの人もいなければ褒められてばかりのひともいない。
どちらも避けることのできないものであります。
ところが人間というものは、褒められるといい気になって、ほんの一つでも
批判をされるとグサッと胸に響いて自信を失ってしまう。多くのことが
うまくいっていても、ほんの一つだけうまくいかなければ、それだけで
まるで世の中のすべてが真っ闇のような気持になってしまう。
坂村真民先生というと今日では仏教詩人として、相当、仏教を学び
素晴らしいたくさんの詩を作りたいへんな業績をおさめられました。
それでも先生の若い頃は純粋にお寺で坐禅をしようとすると周りの人
との軋轢があり、詩人として純粋に生きようと目指す一方で周りの人と
うまくやっていかなければいけないというようないろいろな矛盾を
抱えてやらねばならないのが現実でした。
坂村真民先生に「かなしき(鉄砧)のうた」という詩があります。
{たたけたたけ
思う存分たたけ
おれは黙って
たたかれる
たたかれるだけ
たたかれる・・・}
『坂村真民全詩集第1巻より』
かなしきというのは、悲しきではなく、鍛冶屋さんが鉄をたたくときに
下に置く台のことです。そのかなしき(鉄砧)のようにたたかれてたたかれて、
私たちは微動だにしないものを得ていくのです。
誹りにも褒められることにも心揺らぐことのない、確かなものを私たちは
得ていかねばなりません。
2限目の講師・千宗室家元
横田南嶺管長による挨拶。
今年も誠に大勢の方々に夏期講座にお越しいただき誠に有り難うございました。
来年の夏期講座は、従来の7月から6月に開催時期を変更する予定です。
皆様のまたのご来山を心よりお待ちしております。