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臨済宗大本山 円覚寺

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2015.04.24

ただ一枚の光

入制大攝心 5日目
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 横田南嶺老師が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。

 『臨済録』を学んでいくのに注意しなければならないことは、見性の眼を具して

読んでいくことです。心の本質、本性とは何であるか?ということを探究しなければ

なりません。
 
 臨済禅師は、最初、仏教の学問を学んでいましたが、それは薬の処方箋のようなもので

「本当に自分の心を安らかにしれくれるものではない」と見切りをつけ、禅の道に

参じました。黄檗禅師や大愚禅師のところで修行をしなるほどと体得をして、

さらに江南地方を行脚して大勢の禅僧に見えて研鑽を積みました。

 のちに臨済禅師は、仰せになっています。

「是れ娘生下(じょうしょうげ)にして便ち会(え)するにあらず、

還って是れ体究錬磨して、一朝に自ら省す」

 つまり、心の本質、本性、尊さというのは決して生まれたままでわかるものではない。

自分自身、体で実践をして体得して、初めてわかるものである。

『論語』に「子曰わく、我は生まれながらにしてこれを知る者に非ず。

古(いにしえ)を好み、敏(びん)にして以てこれを求めたる者なり。」

とあります。孔子ほどの人ですら、生まれながらに何もわかったわけではない。

昔の学問を学び人一倍、一生懸命努力をして初めて気がついたのです。

 こういう語録を手がかりにしながら、心の表面に映る、人間の考えや思い、見解に

振り回されるのではなく、様々のものを映し出す心の本質、本性が何であるかを

探究していくことが肝心です。

そうすれば、この我が心の本性こそ素晴らしい宝であったと気がつくはずです。

そう気がついて周りを見れば、あらゆるものは、皆、宝の珠であったと見えてくる。

あらゆるものが光、光明を放っていて、その光明が最後一つのところに解け合って

ただ一枚の光になってくる。

 これを仏心の光明、これを臨済の宗旨と呼ぶ。みなさん方には、ぜひ、

これを体得していただきたいと思います。

ただ一枚の光

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〒247-0062 鎌倉市山ノ内409  
TEL:0467-22-0478

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