地獄から逃れる方法
横田南嶺老師が昨日、居士林で行われた淡青坐禅会で提唱されたことをまとめてみました。
私たちの煩いや悩みというのは、およそ自分の心のはたらきであり、自分で自分に迷わされて
いるのです。
三界唯心、迷いの世界は私たちの心が作り出すのです。華厳経に「 心は工(たく)みなる
画師の如し」とあります。ちょうど私たちの心は、絵描きさんのように様々なものを描く。
おもしろいたとえ話があります。ある人が絵描きさんにきれいな極楽の絵を描いてくれ
と頼みました。次に、凄まじい地獄の絵を描いてくれと言いました。そして両方の絵が
描き上がるとある人は、絵描きさんに尋ねました。「極楽や地獄を描くのに筆を換えたか?」
絵描きさんは「極楽も地獄も同じ筆で描きました。」と答えました。
そこである人は言いました。「1本の筆で極楽を描くこともできれば、地獄も描くことが
できる。人間の心もそれと同じである。」と。
私たちが見たり聞いたりしている世界、世間も自分の心が描き出した幻、夢のようなもの
なのです。
五祖法演禅師(?~1104)は、地獄から逃れる方法は2つあると仰せになっています。
嫌だ!と言って逃げるか、それとも、地獄を楽しんでしまうかです。本当の修行というのは
地獄さえも楽しんしまうことです。
地獄に行ったら地獄の鬼と仲良くいっしょにご飯を食べてともにお酒を飲んで楽しむように
なれ。そして、地獄といよいよお別れになったら鬼たちから惜しまれるようにして悠然として
出て行けるようになれと。
この世界に置き換えても同じです。この世界に生まれたからには、地獄のように厳しい状況で
あろうと、この世を楽しんで、好い人悪い人ひっくるめて大勢の人ととにかく仲良くして
最後は大勢の人から惜しまれこの世と別れをするようでなければいけない。
「地獄に入るも園観(公園、歓楽の花園)に遊ぶが如く」です。私たち住む世界は夢、幻の
世界です。夢、幻とわかった上で楽しんでいくことが本当の修行です。
{平成26年11月5日(水) 淡青坐禅会 臨済録提唱より}