秋季学生大攝心 始まる
-居士林堂内-
居士林では、今日の夕方から2泊3の秋季学生大攝心(坐禅会)が始まりました。
男性45名、女性15名の60名の方が参加くださいました。
まず、円覚寺派管長 横田南嶺老師から大攝心を始めるにあたってご垂示をいただき
ましたので、一部をまとめてみました。
「それぞれがいろいろな課題や目標、動機を持ってこの坐禅会に来たであろうと思いますが
ほとんど皆さん方におきましては、おおよそいろいろなことを考え過ぎている、いろいろなことを
学び過ぎている知り過ぎているのではないでしょうか。
情報過多といわれますが、もうそれ以上何かを学ぼうとか得ようとかいうことは
私から拝見するとほとんど不要であろうかと思います。たとえば毎日ご馳走ばかりを
食べている飽食の人がなおそれ以上いいものおいしいものをいただきたと来ている
ようなもの。それは必要なくて、それよりおなかをからっぽにしてくださいと
言いたくなるのと同じです。
人間が生きるということはその原点はきわめて単純です。おなかがすいたならば
ご飯を食べる。眠くなったら眠る。暑ければ薄着をする。寒ければ厚着をする。
大便と小便をきちっと出す。だいたい、それで生きていけるものです。
何か得ようとか何かを学ぼうというよりも、それよりももっと捨ててしまう
からっぽになる、単純になる、それを学んで欲しいと思います。
普段はケイタイ、パソコンなどの情報に追われていますが、ここにではそれらを
断ち切ることができます。せっかく断ち切っても頭の中であれやこれやと考えて
いたのでは意味がありません。坐禅をすれば吐く息と吸う息の二つしかない。
それ以外の仕事は持ち込まない。只静かに息を吐き只静かに息を吸う。
それだけなんです。単純なことに成り切るのです。
お粥を食べるときもお茶を飲むときも只いただく。頭をからっぽにして
単純に生きていく。そうすることで新たなものの見方が広がってくるのでは
ないかと思います。
もうそれ以上は詰め込もうとか得ようとかいう気持ちは少しおいてやって
いただきたいと思います。」