まごころ
3月23日(日) 春季学生大攝心 中日
横田南嶺老師が学生大攝心で提唱されたことをまとめてみました。
仏教の膨大なお経も煎じ詰めれば「慈」の一字に帰する。
儒教のあまたの書物も煎じ詰めれば「誠」の一字に帰する。
慈も誠も決して別なるものではありません。
仏教であろうが儒教であろうが同じ人間が考えたものであるから
別のものである道理はないのです。慈の一字あるいは誠の一字は
日本にもともとある言葉で表現すると「まごころ」となります。
坂村真民さんに「まごころ」という詩があります。
{天地を貫くのは まごころ 地球を包むのも まごころ
世界を平和にするのも まごころ
こころは ころころするが まがつくと もう万里一条鉄
びくともしない どんなことでも ふしぎとよくなる
まごころは 差別を無くし 憎悪を消し 光のように
すべてを照らし 愛に満ち 熱い涙で 抱いてくれる
ああ 宇宙を美しくするのは まごころ まことのこころ}
<坂村真民全詩集第7巻より>
私たちはみんなそういうまごころを持って生まれて来ているのに
見失ってしまっているのではないでしょうか?ころころするこころを
もっと掘り下げていけばまのついたまごころに突き当たるのです。
また、坂村真民さんは、人の世のまごころを「バスの中で」という詩の中で
わかりやすくうたっています。
{バスの中で
この地球は 一万年後 どうなるかわからない いや明日 どうなるかわからない
そのような思いで こみあうバスに乗っていると 一人の少女が きれいな花を
自分より大事そうに 高々とさしあげて 乗り込んできた
その時 わたしは思った ああこれでよいのだ たとい明日 この地球がどうなろうと
このような愛こそ 人の世の美しさなのだ たとえ核戦争で この地球が破壊されようと
そのぎりぎりの時まで こうした愛を失わずゆこうと 涙ぐましいまで
清められるものを感じた いい匂いを放つ まっ白い花であった}
<坂村真民全詩集第二巻より>
たとえ自分の体が押し合いへし合い押しつぶされそうになっても
自分よりも一輪の花を大事に高々と上げて守っている少女。
こんな状況であってもこの一輪の花を大事に守ってあげたい、
こういうこころがまごころなのです。
まごころを大事に念じ続け、養い続けて失わないようにする。
念じ続け願い続けることが私たちにとって大切なことなのであります。
男性約30名、女性約20名の総勢50名の方々が参加をされています。
提唱場所も満席、居士林の禅堂もすべての単(坐る畳)が埋まりました。
大勢の活気のある学生大攝心となっています。
(後記)
こちらは坂村真民記念館さんからの要請で横田南嶺老師が揮毫された
「バスの中で」での詩です。この詩を老師がある冊子に引用し、それを
ご覧になった坂村真民さんのご息女西澤恵美子さんが「(この詩を引用するのは)
それは真民詩を熟知されているということ、そしてそれ以上に真民のもっとも
詩人たる感性が光っている詩のひとつであることを解してくださっている」と
感動して老師にお便りを差し上げたのがお二人の直接のご縁となりました。
記念館で展示される予定です。