無分別・無差別のこころ
10月10日(木)
横田南嶺管長が先日の土曜坐禅会で提唱されたことをまとめてみました。
地獄、餓鬼、畜生というのは決して死んでからどこかに生まれ変わるという
ものではありません。毎日毎日の私たちのこの一念のこころが様々に変化する
様子を言います。
私たちは、せっかく無分別・無差別にものを見るという仏様のこころを持って
生まれながら、現実には、様々な妄想妄念にとらわれ、考え込み、また、
色分けをしてものをみてしまっています。そして自分で地獄の世界を作り出して
その中で苦しみ続けているのです。
<横田管長が扇子で「パチン!」と講本台をたたく>
この「パチン!」という音、皆さんは、なんのとらわれもなく、しばりもなく
聞こえたはずです。誰もこの音を聞くことを妨げることはできない。「パチン!」
という音を無分別・無差別に聞く、それが一念の清浄な光なのです。
とは言いましても、普段はいろいろなことを考えなければ、この世は
生きてはいけません。分別をしなければ、生きてはいけないように
なっています。
しかし、分別に振り回されて、分別の世界しか本物でないと思いこんで
しまっては、苦しみが尽きることがありません。
そういう状況の中で私たちのこころの本体は無分別で何のけがれもなく
清浄のこころを持ち、何ら差別することなくものを見、ものを聞いている
という世界、一念、無心の働きを取り戻そう、体験しようというのが坐禅
であります。
{平成25年9月28日 土曜坐禅会 臨済録提唱 より}