生きねばならぬ
9月9日(月)
横田南嶺管長が昨日の日曜説教会で提唱されたことをまとめてみました。
「祈り」という言葉があります。いろいろな説がありますが「祈り」という
言葉のもとはといいますと、「祈り」の「い」は、いのち、生きる、生命力を表し
「のり」というのは、「祝詞」(のりと)という言葉があるように、宣言をするという
意味だそうです。
ですから「祈り」とは、いのちの宣言をするということなのです。
「いろいろな苦しいこと辛いことがあっても自分はそれにめげずに生きるんだ!
強く生きていくんだ!」と宣言をすることが「祈り」ということの原点なのです。
そして生きていくんだと自分に言い聞かせることによって自然と祈る人の心が
活性化していきます。
坂村真民先生に次の詩があります。
{ 鳥は、飛ばねばならぬ 人は、生きねばならぬ
怒涛(どとう)の海を 飛び行く鳥のように
混沌の世を 生きねばならぬ
鳥は、本能的に 暗黒を突破すれば
光明の島に着くことを知っている
そのように人も 一寸先は闇ではなく
光であることを知らねばならぬ
新しい年を迎えた日の朝 私に与えられた命題
鳥は飛ばねばならぬ 人は生きねばならぬ }
一寸先は決して闇ではありません。闇だ!闇だ!といつも言っている人には
闇が続いてしまうかもしれませんが、光だ!光だ!と信じている人には必ず
光が差してくるものです。「生きねばならぬ」です。
私はこの「生きねばならぬ」という心を以下のような言葉でまとめてみました。
「明日、どうなるかはわからないけれど、今日一日は笑顔でいよう。
つらいことは多いけれど、今日一日は明るい心でいよう。
いやなこともあるけれど、今日一日はやさしい言葉をかけていこう。」
これが「生きねばならぬ」の精神です。無常の中で明日を信じて生きていく
ことの精神であります。明日はどうなるかわからないけれど、今日一日、笑顔で
暮らすことは私たちが努力をすればできることではないでしょうか。