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臨済宗大本山 円覚寺

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2013.08.25

うたたねの・・・

8月25日(日)
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 横田南嶺管長が今日の日曜説教会で提唱されたことをまとめてみました。
 今月の円覚寺のカレンダーに「うたたねの ひととき 楽し 蓮の上」
という言葉が載っています。これは私が作った歌であります。実は辞世の句に
しても良いと思っています。
 この歌の意味は、人の一生というものは仏様の蓮の上でうたたねをしている
ようなもの、ちょうど孫悟空がどんなに動き回り駆け回っても仏様の手の上で
あるように、私たちもいろんなことをやっても結局は仏様の手の平の上であり
それを蓮の上と表しています。
 そんな蓮の上に懐かれていながら、一時、うとうとと夢を見ている。楽しかった
夢もあれば辛かった夢もある。でも、それは全部仏様の手の平の上のこと。これを
仏心という。
 人の一生というのは仏心という大きな心の上で一時うとうととしていろんな
夢をみているようなものです。夢を見ている間も、「ああ、夢であった」と気づいた
時もすべて蓮の上である。こういう気持ちを表しています。
 本日がご命日である朝比奈宗源老師は、私たちは常に仏心の中にあると信じることが
大事であるという「仏心の信心」を強くお説きになっています。
 私たちは「悟り」を求めて坐禅をするといったり、人の人生であれば何か幸せを
求めて歩いたり旅をしたりするといいますが、どこまでいってもそんな幸せは
つかめるものではありません。
 ふと、こうして歩いていることが実は幸せであったと気がつくことが大事なのです。
私たちもどこかにいつか「悟り」が表れるのではないかと思って坐禅をしますが、
こうして坐禅をしている自体が「悟り」なのです。
 悩み、苦しみが全部抜け落ちて悟りの世界にいくのではありません。いろんな
ことに悩んだり苦しんだりしている今この場所が仏心の中なのです。そう信じて
ゆったりとした気持ちで過ごすことが大切であります。
(後記)
 今日の日曜説教会は当初、別の和尚様が担当でしたが、ご都合により
横田南嶺管長が代わりに法話をされました。
 

うたたねの・・・

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