だんだんと丸い石に
7月19日(金) 夏期講座・初日
南嶺老師が提唱されたことをまとめてみました。
山岡鉄舟居士は、若い頃、坐禅をしていると天井のネズミがその気迫に
圧されてピタッと動きをやめたと言われましたが、晩年は写経をしていると
ネズミたちが膝や肩の上で遊んだそうです。こういう世界です。
修行を始めた頃は峻厳一徹でも段々と時を重ねるうちに丸くなっていくのが
理想です。あたかも岩が上流ではごつごつして大きく、手が触れたら
切れそうものがだんだんと川を流れていくうちに丸い岩になっていくような
ものです。
私たち、お寺の世界では、伽藍の配置や境内の景色で仏の教えを説くことが
ございます。浅草の観音様などの大寺では、入り口には仁王様があります。
仁王様は目をひんむいて力を入れている姿です。
私たちの修行もそれくらいの気迫でやらねばなりません。しかし、ずっと
仁王様のままでは自分自身はおろか、はたまたまわりの人まで肩はこり、
くたびれてしまう。
浅草の観音様は雷門をくぐって一番奥には、観音様がお待ちしております。
最初は仁王様のように力を入れて一生懸命やってだんだんと観音様の心に
なっていくのが理想です。最初から観音様のようにはなかなかなれません。
ある人が山岡鉄舟居士に剣の極意を訊いたら、浅草の観音様に行けば
分かると言われたそうです。その人はそう言われてお参りに行くと本堂に
「施無畏」という額がかかっていたそうな。
おそれなきを施すことです。相手のおそれや不安を取り除いてあげる、
平たく言えば相手に安らぎを与える、相手をホッとさせることです。
そういう観音様になるのが我々の修行の目指すところです。