毎日の当たり前の暮らしが
7月3日(水)
管長様が提唱されたことをまとめてみました。
臨済禅師は繰り返し仰せになっています。この毎日やっている
普段の当たり前の暮らしこそ最も尊いものであると。
おなかがすいたらご飯を食べて、くたびれたら眠る。服を着たり
大便・小便を出す。それらの当たり前のことこそ最も尊いのです。
自分でご飯を食べることができる、自分で服を着ることができる
自分で大小便をすることができ、疲れたら眠ることができる。これが
できるということは本当に大変なことなのです。
そういうことが自分で当たり前にできるということが実は最も尊く
素晴らしいと気づくことが肝心です。
若いときなどは、体がピンピンしているのでもっと何か業績を
つくらなくてはいけない、もっと学ばなければいけない、もっと何か
をしなければいけないと追い回されてしまいますが、結局、その結果
何になったのか?何が残ったのか?
業績、や学問もそれなりの価値がありますが、やはり人間の真価は
当たり前にご飯を食べて服を着て大小便をしてそしてくたびれたら
ぐっすり眠ることができることがどれほど有り難いことであるかに
気づくことができるかであります。
そういうことに何とも言えない尊さがあることに気づけるかであります。
それに気づいたらもう外のものに振り回されることはないのです。