善く生きること
2月10日(日)
<涅槃図(ねはんず)> 来る2月15日は涅槃会(お釈迦様が
お亡くなりになった日)です。
管長様が今日の日曜説教会で提唱されたことをまとめてみました。
お釈迦様は、29歳の時、善を求めて出家をされました。何も難しい
哲学とかではなく、「善く生きるということ」をその生涯をかけて
お求めになりました。
悟りや涅槃とというものを端的にいうならば、この「善く生きる
ということ」に他なりません。瞋(いかり)やおろかさなどの煩悩の
炎で自分自身が振り回され、人を傷つけているようでは「善く生きる」
とは言えません。
よくこの煩悩の火を調えて、よく己自身を調える、これが戒であります。
戒は、規則や罰則というよりも、日本の言葉では「躾(しつけ)」に近い
ものであります。
躾のように良い習慣を身につけることです。心に良い習慣を身につける
のが戒であります。いのちあるものは、なるべく殺さないという習慣を
身につける。うそはつかない、みだらな行いはしない、なるべくお酒は
控えるという習慣を身につけることが大切です。
その中でも、いのちをむやみに殺さないという教えが一番の基本と
なります。あるインドの王様がお釈迦様にお尋ねになりました。
「自分は、長年、お釈迦様の教えを聞いて、無我や己をなくすことが
大事であると頭ではわかるが、それでも、自分はやはり自分自身が一番
愛しいと思ってしまう。これでいいのでしょうか?」と。
お釈迦様はお答えになりました。「王よ、それでいいのだ。あらゆる
いのちあるものは、みな、自分自身のいのちが一番愛おしい。そのことを
知ったものは、他のいのちを傷つけたりはしない。」と。
これが仏の教えのおおもとであります。誰にとっても大切なこの
いのちを傷つけないにしようという心が一つあれば、うそをつくことも
盗むことも、みだらな行いをすることも、自ずとなくなってくるのであります。
それらは、みな人を傷つけることであるから。
他のいのちを傷つけることが悪で、ものや人のいのちを活かしていくのが
善い行いであるというのがお釈迦様の教えです。その言葉通り、
お釈迦様は、その生涯を人様の為に最期の最期まで使い切って
まさに「完全燃焼」の生き方をされたのでした。
(後記)
紅梅一輪 <法堂跡>
<居士林・堂内>
日曜説教会は、この寒い中にもかかわらず、大方丈が所狭しとなる
ほどの多くの人が拝聴にお見えになっていました。
午後からは、居士林での蔦禅坐禅会でした。19名がご参加ください
ました。蔦禅会もこれで、英語通訳ありの坐禅会として始めて、
おかげさまで、2周年を迎えることができました。
これからどう発展していくのか、楽しみな坐禅会です。
<居士林・水仙>
皆様、円覚寺にお越しいただき、誠に有り難うございました。