至誠
1月15日(火) その2
こちらは、昨日、円覚寺で行われる成人式で贈呈される予定
だった、管長様揮毫の「至誠」の色紙です。残念ながら、雪の為
中止になりましたので、管長様が作ってくださいました「至誠」に
ついての説明文をつけて、郵送されることになりました。
説明文の内容は以下です。
[ 至誠ーまごころー ]
「至誠」とは、この上なく誠実なこと、まごごろを表します。
中国の古典{孟子}には「誠は天の道なり。誠を思うは人の道
なり。至誠にして動かざるものは、未だこれ有らざるなり」と
説かれています。
平易に訳してみますと「天地万物にあまねく貫いているのが
誠であり、天の道である。この誠に背かないようにつとめるのが
人の道である。まごころをもって対すればどんな人でも感動させない
ということはない。」
まごころをもって接すれば、どんな人でも動かせる力があるという
ことです。ただし、その至誠、まごころは一時だけのものに終わっては
なりません。
これも中国の古典{中庸}には「至誠無息<至誠息(や)むこと無し>」の
一句がございます。この上ない誠実さ、まごころをもって生涯を貫く
ことです。{中庸}には「至誠息むこと無し」の後に「息(や)まざれば
久し。久しければ徴(しるし)あり」と続きます。
「この上ない誠実さ、まごころを怠ることなく、あきらめずに保てば
長く勤めることが出来る。長く勤めれば必ず目に見えるしるしが顕れる」
という意味になります。
まごころを持って、倦(う)まず弛(たゆ)まずどこまでも貫いて、
途中でやめることさえしなければ、必ず目に見える成果が現れる。
どんな人でも、世の中でも変えていく事が出来るということです。
嘘偽りの多い中でも、頼りとすべきはまごころひとつ、お互いの
まごころを貫いてまいりたいと存じます。まごころを持っていけば
必ず道は開かれると信じてまいりましょう。
(後記)
<舎利殿> 昨日の大雪の時の写真です。
<山門>