無常について
12月5日(水) その2
管長様が淡青坐禅会で提唱されたことをまとめてみました。
「無常」と言いますと、ものが移り変わる、形あるものが
滅びていくと私達は思いますが、お釈迦様の悟りから申し上げれば、
心というものも、一念一念、一瞬一瞬、生じては滅していく「無常」
であります。
只、その生滅の度合いが誠に速やかで早いので、私達はずっと同じ
場所で同じ状態であるように見えています。心というものは、いのちと
言っても同じですが、昔の蛍光灯のようなものであります。
蛍光灯というのは、実際は点いては消えるを繰り返している
のですが、ただその点滅が細やかで速やかであるために、
私達にはずっと点いているように見える。
いのちも生じては滅し生じては滅しの繰り返しで一瞬たりとも
同じ状態ではないのですが、その一瞬一瞬の心の変化に気づくほど
私達は敏感ではないので同じであると錯覚してしまう。
いのちも生滅を絶えず繰り返し、一瞬たりとも同じ状態ではないと
いう真理に気がつけば、「これが自分である」「これが自分の身体である」
「これが自分のものである」と執着する対象のものはありえないのです。
ですから、無常ということがわかれば、無我であり、空であると同義
であると言ってもよいのです。
この無常の真理をあるがままに受け止めて一瞬一瞬、一日一日、
このいただいたいのちを生きていく他にはないのであります。
(後記)
今日の淡青坐禅会は、管長様の提唱があるということもあって
24名もの方が参加をされました。皆様、お疲れ様でした。
有り難うございました。