この体 この心 この暮らし
11月26日(月) 月並大攝心 最終日
管長様が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。
「この体 この心 この(毎日の)暮らし」ということを申し上げます。
公案(禅の問題)の見解もみなこの中にあります。それを
公案を与えられるとみなさん方はあれこれと何やら考え込んで
行き詰まってしまう。
しかし、公案の調べは「この体 この心 この暮らし」
これを出るものは絶対にありません。めいめい、この体を持って
生まれ、その中に心があって活動している。この心と体の活動が
毎日、ご飯を食べたり仕事をしたりと毎日の暮らしになっている。
この体を持って生まれこの心をこうしていただいていて
毎日の暮らしをしている。このことに目を向かせる為に
また、そのことがこれ以上のものはないと気がつかせる
為にあらゆる角度から公案というものを調べていくのです。
みんな「この体 この心 この暮らし」から離れて別の
ところに仏心、真理、法華の教えなどをみてしまうから
おおもとがおろそかになり、観念や妄想になってしまう。
臨済禅師は仰せになっています。「ご飯を食べたり、
着るものを着たり、大便小便を出したり、お腹がすいたら
ご飯を食べ、くたびれたらたら眠る、これ以上のことは
ない。多くの人はなんだそんなことかと笑うかもしれない
がわかっているひとは、なるほどとうなずいてくれるはず。」
ご飯を食べて出すということがどれほどすばらしいことか。
時には坐禅をして、静かに呼吸をして、夜になって疲れたら
眠ることができることがどれほど有り難いことか。このことが
命のおおもとであります。
こう立ち返ってものを見てみますと、そんなにあわてなくても
穏やかに心になるし、思いやりの言葉も湧いてきます。そして
身近な人といっしょに幸せになっていくことが私たちの目指す
坐禅の修行であります。