人生はレンタルである
11月6日(火)
管長様が前回の土曜坐禅会で提唱されたことをまとめてみました。
先日、ある雑誌に「人生というのはレンタルである」という言葉が
を見つけました。レンタル、借り物であります。この体、この命は全部
一時(いっとき)いただいて、一時お借りして、一生涯使って、そっくり
そのままお返しするという意味だそうです。おもしろい表現であります。
あらゆるものはみなお借りしてもとに返すのであります。もちろん
私達の命もそうです。空間的には天地一杯、時間的には過去無量劫である
大いなる命の中から、一時の命をこうしてお借りして・与えられて、
命ある間は精一杯活かして尽くして、あとは大いなる命に帰っていく
だけであります。
無量の命に仏教では誰でもわかるように阿弥陀様という名前を
つけました。「南無阿弥陀仏」とは無量の命に全部帰って行くという
ことであります。
そして、この無量の命、どこにあるのかというと、今こうして
見たり聞いたりしている私達の心のはたらきこそがそれであります。
今のこの一念が無量の命そのものなのせす。
朝比奈宗源老師は、「仏心(無量の命)の中に生まれ、仏心の中に生き
仏心の中に息を引き取る」ということをを坐禅をして悟るのが、
一番だけれども、たとえ、そうはいかなくても、そのことを信じることだけで
悟るのと同じであると仰せになっています。
その中に あるとは知らず 晴れ渡る
空に抱かれ 雲の遊べる
という歌があります。空は仏心・無量の命、雲は私達の
一時お借りしている命であります。
典座 <僧堂>
(後記)
宝物風入、遠諱委員会が無事に終わり、ほっと一段落です。
写真は、専門道場の典座(てんぞ)、つまり、台所です。
今でも、薪を使って料理を作っています。