自分探しの旅
10月26日(金) 入制大攝心 最終日
管長様が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。
自分を探す旅とは、この頃言われるような、ただ自分の好き勝手を
すればいいのとは全く違います。「本当の自分探し」の最初は、
己を殺す、つまり、自分中心のものの見方を否定していくことであります。
その過程は自分を否定するのですから、苦しいものであります。しかし
その苦しみは、我が身をかわいく思う心であり、自分で自分を苦しめて
いるのです。
修行を繰り返していくと、だんだんと我を離れてものをみることが
できてくる。そうすると、私一人がこうして生きるのにどれだけ多くの
ものが相関わっているのかが見えてきます。
毎日、何気なくいただいている一杯のお粥に心の底から手を合わせて
いただくことができたら、強いていえば、それが成仏の姿であります。
人間を完成する、本当の自分になることであります。花が花を咲かせる
がごとく、我(われ)が我になる修行です。
お日様が照らしてくれる、風が吹いている、井戸に水が湧く、
米や野菜がいただける、典座さんが苦労をしている・・・など
あらゆる慈悲の中に私達は生かされているのだとこう気づくはずです。
そうしますと、必ず私達自身というものが、本来は慈悲の心ではたらいて
いるのが本当の姿であるとわかってくるはずです。
最後は、我を離れて・忘れて、人の為に街へ行って尽くしていく姿が
十牛図の終わりであります。布袋さんは弥勒菩薩の化身であるといわれます。
弥勒は慈悲・いくつしみの菩薩です。
これが私達の目指すところであります。
十牛図 「返本帰源」
「入鄽(てん)垂手」