自らに由る
10月17日(水)
管長様が本日の淡青坐禅会で提唱されたことをまとめてみました。
仏教を学び修行しようとする人は、何よりもまず、正しくものをみる、
まっすぐにものを見るのが一番大切であると臨済禅師はおおせに
なっています。
多くの知識を得たり、膨大な教典を読んだり、長く坐禅ををする
よりも正しいものの見方を身につけることが肝心なところであります。
その正しいものの見方を身につける為に、自分中心のものの見方
から離れる為に、坐禅をするのであります。今の時代を生きている
私達が、正しいものの見方ができるように昔の書物やお経や語録を
学ぶのであります。
なかなか難しいことでありますが、この正しいものの見方が
手に入れば、迷いや苦しみに対して主体性を持って生きることが
できます。
また、臨済禅師は、他人の言葉にふりまわされるなとも仰せに
なっています。他人の言葉や書物に書いてあることに惑わせられ
ないようにと。お経の通りに、教祖の言う通にすることを否定されて
います。そして、尊いことは、自分で正しく判断することのできる
力は、私達一人一人に生まれながらに備わっていると繰り返し
説かれています。
それでも、今を生きている私達は、現実的に正しいものの見方が
できないでいます。その原因は自らの内に正しく判断する力がある
にもかかわらず、それを信じることができないで外に向かって
求めてしまっているからであります。
迷いと悟りは方向の違いと言います。心を外に向かって求める
のが迷いであり、自分の内を照のが悟りであると。
外のこと(他人の言葉や書物に書いてあることなど)に振り回されず
「自由」つまり、自らに由りなさい!と臨済禅師は、すでに「自由」という
言葉を中国・唐の時代に提唱されています。
外に向かって求めるこころをやめれば、あなた方はそのまま仏である、
お釈迦様やダルマさんと何の変わりもないと。
紀伊上臈杜鵑(きいじょうろうほととぎす)
<龍隠庵>