祈り願う心
9月1日(土)学生大攝心中日
管長様が本日の学生大攝心で提唱されたことをまとめてみました。
夢窓国師発願文に「願わくは我が慈悲観音のごとく、行願(ぎょうがん)
普賢(ふげん)のごとく、智慧文殊(もんじゅ)のごとく、弁説(べんぜつ)
維摩(ゆいま)のごとくならんこと。」とあります。
仏像というものは決して偶像崇拝でありません。観音様を拝むこと、
観音様のお姿を見ることによって、私達の心が観音様のような慈悲の
心となるように願うことが大切であります。
私達のこの心が、慈悲は観音、願いは普賢、智慧は文殊となります
ようにとこう願っていく。願って願って願い続けていくと、その願う心が
私達の心に、体に、熏習(くんじゅう)といいまして、しみついてくる。
そうすることが特に難行苦行をしなくとも仏様に近づくことのできる
速やかな道であります。難行苦行をすればするほど得意な気持ちになって
逆に仏様の心から遠ざかってしまう人を多く見受けられます。
それより、何か人の為に尽くしてあげたい、観音様のような慈悲の
心であたたかく人に接して、みんながどうか幸せになりますようにと
祈り願う心を持って坐禅をすることが大切であります。
そうすると私達のこの祈り願う心が、仏様の祈り願う心に通ずる、
1つのものになってくる。私達の心と仏様の心が、夢窓国師は「冥合」
(めいごう)すると表現されましたが、知らず知らずのうちに1つに
なってくるのであります。
<提唱風景>