角を磨く
8月19日(日)
管長様が土日坐禅会で提唱されたことをまとめてみました。
鹿の群れの主が角を磨くのは、どう猛な動物から鹿たちを
守るが為にやっているのであります。槍のような角をそなえて、
虎のような動物から守り、状況を正しく判断する眼を持ち、
安全なところへと仲間の鹿たちを導く。
私達が坐禅をするのも、智慧という「角」を磨いて、大勢の
人々を導く為にしなければいけません。己を殺してこの智慧の眼を
磨くのであります。そして、その智慧によって、みんなを安心の
境涯にみちびくのであります。
円覚寺は瑞鹿山(ずいろくさん)と言いますが、鹿と仏教とは昔から
深いご縁があります。お釈迦様が初めて説法された場所は鹿野苑(ろくやおん)
といいます。なぜ、鹿野苑といわれてるのかといいますとこれもまた、
深い因縁があります。
お釈迦様は、過去世において菩薩の修行をしていた時、大きな群れの
鹿の王でありました。その国の人間の王が、狩り好きの若い王にかわると、
大勢の家臣を連れて鹿を狩猟して殺してその肉を喜んで食べました。
困った鹿の王は、人間の王に直訴しました。「どうか聞いてください。
我々は畜生の身、餌食になることは仕方ありません。今500頭で暮らして
いますが、どうかご慈悲の心を持って、あんまりいっぺんに殺さないでください。
代わりに、毎日1頭ずつ献上致しますからそれ以上手を出さないでください。
それで王様は安心して肉を食べられますし、我ら鹿も残りの命は安心して
暮らせます」と懇願しました。
王様はそれを承諾し、鹿の王は約束通り1日1頭献上して、
王様も約束を守り猟をやめました。
そしてある日、お腹に子どものいるお母さん鹿が献上される順が
来てしまいました。鹿の王は、王様に「しばらく待ってください。今日は
私が王の食事になります。」と申し出ました。王様は「お前は、鹿の王
なのにどうしてだ?」とたずねました。鹿の王は「お腹に子どものいる
お母さん鹿が死んでしまったら、子どもまで死んでしまいます。私が
代わりになります。」と答えました。そうするとお母さん鹿も「(鹿の)
王様が犠牲になってしまったら、群れは成り立ちません。私が・・・」
とお互いかばい合いました。それを見ていた王様はその気持ちを深く
察して鹿を食べることをやめました。
鹿の王がお釈迦様の前世であります。その後、この場所では鹿が殺されず
たくさん増えたため、「鹿野苑」と呼ばれるようになったそうです。
鹿の王は慈悲の心の象徴であります。自己中心、自分さえ良ければいい
という心を殺して、慈悲の心を磨くための坐禅であります。