同じ心
7月15日(日)
管長様が土日坐禅会で提唱されたことをまとめてみました。
自我という名前をつけるとたいへん悪いものように思われがち
ですが、裏を返してみれば、みんな自分中心の同じ心をもって
いるのであります。それはみんな平等であります。
お釈迦様の時代、舍衞国の王様が、
「自分はいくらお釈迦様の教えを聞いても、自分ほど大事なものは
いないし、自分ほどかわいいものはないと思ってしまう。これほど
お釈迦様の教えを聴きながら、こう思ってしまうのは申し訳ない。」と
悩み、お釈迦様に正直に告白をしました。
「自分がかわいいという思いがどうしても、とれまません。どうしたら
いいのですか?」と王様は尋ねました。
そのときにお釈迦様が仰せになった言葉が有名です。
「人のおもいはいずこへもゆくことができる
されど いずこへおもむこうとも
人は おのれより愛しいものを見いだすことはできぬ
それと同じく 他の人々も自己はこの上もなく愛しい
されば、おのれの愛しいことを知るものは
他のものを害してはならぬ。」(『相応部経典』一二・八七)
自分がかわいいというのは、その通りだ。みんなその通りであると
知りなさい。どんな人にとっても自分がかわいいのだ。それは、
平等なのだ。そのことがわかったならば、その人を傷つけては
いけない。
様々、見たり聞いたり感じたりする、そういうものを全部否定
する必要はありません。それも全部仏心のはたらきであります。
自我意識も慈悲のはたらきとなりうるのです。
<龍隠庵>