人はどうなるかわらない。
6月17日(日)
管長様が昨日の土曜坐禅会で提唱されたことをまとめてみました。
先日、禅文化研究所のDVDの撮影がありまして、次のような
質問を受けました。「今、日本では年間3万人の自殺者がいますが
、この状況をどう見ますか?」それに対して次のように答えました。
3万人というのはたいへんな数でありますが、そういう状況に
あって、では自分が何をすることができるか?であります。
考えてみると、まず、確実にできることは、この自分が死なない
ようにすることが第一番です。
今、幸いに私は死のうとは思っていないし、そういう状況には
ありません。けれど、絶対に自分は死なないといえますか?
人はどうなるかわからいのが真実であります。
自分の意図せずに事件に巻き込まれ、自分が消えなくては
状況が解決しないほど追い込まれたら、私もどう判断するか
わからない。今はこうして健康な体でありますけれど、この先
どんな病気になるかわかりません。そして、たくさんの薬を
もらって副作用に苦しめられた時、私はどういう判断をするか
わかりません。
大切なのは何もああいう自ら死を選んだ人は特別な人ではない、
われわれもどうなるかわらないと認識することではないでしょうか。
お互いどうなるかわからないということが一番根底になければ
ならないと思うのです。
先日、本を見ていましたら、あの松原泰道先生も、若い頃、自殺を
考えて四国の室戸岬まで行って身を投げて死のうとしたことがあると
書かれていました。先生は崖っぷちまで行って、大海原や悠大な波を
見て、大自然の大きさに比べて自分はなんとちっぽけなことを考えて
いたんだと気がついて、死なずに帰ってきたとありました。
私はそんな話を聞くと正直、ほっとしました。「あんな立派な先生でも
そういうことがあったのか。」と。迷いの深い人を導いて行くには、やはり
こちらも迷いがなければ導いていくことはできない。悟りきって何の不安も
ない人が悩み・苦しみを持つ多くの人を救っていくことができるかというと
そうとばかりは言えません。
自分も悩み苦しむ体験をし、そういう人の気持ちがよくわかる人こそ
本当に人を導くことができるのであります。
<黄梅院>白い紫陽花
(後記)
昨日の土曜坐禅会初心者の部だけで、ここ数年では最高の
94名の参加がありました。居士林が文字通り、もう坐る場所が
ないほどの盛況ぶりでした。ご参加された方、誠に有り難うございました。